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報告|REPORT


現代の芸術系大学における教育に関する研究

Strategy of Interaction Design Education for Informational Environment in Art Institution and Art Universities


小山 明

KOYAMA Akira  	Professor, Center for Design Studies


岡部 憲明

OKABE Noriaki		Professor, Center for Design Studies


鈴木 明

SUZUKI Akira		Professor, Graduate School of Design Research


橋本 英治

HASHIMOTO Eiji		Professor, Department of Media Arts, School of Progressive Arts


藤山哲朗

FUJIYAMA Tetsuro	Associate Professor, Department of Environmental Design, School of Design


岡本知久

OKAMOTO Tomohisa	Lecturer, Center for Design Studies


栄元正博

EIGEN Masahiro	Research Associate, Department of Visual Design, School of Design





デザインは時代の新しい技術・環境・社会生活にどのような影響を与えていくことができるのか
- 欧州におけるデザイン教育の最前線 -
Interaction Design Institute:インタラクション・デザイン・インスティテュート(イブレア、イタリア)とInteraction Design, Royal Collage of Art: ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、インタラクション・デザイン学科(ロンドン、英国)を例として(文責:鈴木明)

1 芸術工学とデザイン教育が向かう新しい領域

 芸術工学は英語では慣例的に Designと表記する。「デザイン」とはプロダクト(複製される製品)にかたちを与えるという、本来は謙虚な概念であると言える。デザインは、絵画や彫刻のように作家の自己表現から始めるのではなく、まず商品(プログラム、生産)そのものを理解し、さらにそれを使うヒト(ユーザビリティ)を理解し、さらには環境や社会(流通や消費と廃棄)を考慮することから始めなければならない。そうは言っても、デザインという行為が利用に関わる機能性や生産や流通の合理性を、ただ受け入れ、それに奉仕するだけの行為であってよい、というわけではない。
 コンピュータ技術や情報技術の発達によって、われわれを取り巻く文化や社会の環境は激変しつつある。工業化による二十世紀のパラダイム・シフトにも増して社会全般、日常生活にいたる変革が進んでいるのである。それはもうひとつの新しい環境が生み出されたといっても過言ではない。このような領域に対して、今、デザインの貢献が期待され、そのための教育のシステムが探られているのである。
 デザインがこれまで行ってきたモノ(プロダクト)の扱い方や使い方、言い方を変えればモノとヒトとの関係(インタラクション)も洗い直す必要がある。その環境を生み出すことになった高度なコンピュータ技術や情報技術を、機能性や合理性を高めることだけに用いるのではなく、多様なインタラクション、繊細な使い勝手をモノとヒトが豊かな関係を取り結ぶために用いることが出来るのではないだろうか。そのためにはコンピュータ技術・情報技術を合理性・機能性を追求する対象として捉えるのではなく、一定の距離を置き、ある場合は批判を与えることが必要となる。
 欧米のいくつかの大学における先進的なデザイン教育の場では、早くからこのような状況を調査研究し、いち早くデザイン教育として戦略化し、さらに企業や公共団体などと協同して実際的なプロジェクトとして実践している。このようなデザインが対象とする「モノ」は物理的なモノだけではなく、情報環境、あるいは情報技術に基づいたサービスも含まれていることは特筆すべきことと思われる。
 日本における芸術系大学においては、コンピュータ技術や情報技術の発展や普及から獲得された「バーチャルな環境」を活動の場とした芸術、たとえば「コンピュータ・アート」のための教育プログラムが用意され実践している。しかし、かつての芸術の枠組からの絵筆を、コンピュータに持ち替えただけでは、初めに述べたような従来からある芸術のあり方、または芸術と社会といった枠組みのパラダイムを変革するような教育のプログラムではないように思える。
 しかしながら、東京芸術大学に設けられた先端芸術表現科のように、テクノロジーに基づいたアートを追求するだけではなく、それによって切り開かれた感覚や感性に訴える作品を追求するその一方で、ローカルなコミュニティにコミットして、住民「参加」の方法を探り続けているような試みもある。情報技術によって新しくつくられて広がったバーチャルな環境の一方には、物理的でスペシフィックなサイト、言い換えればローカルな社会・コミュニティがある。その二重性のなかにおいて芸術がいかに影響力を与え、意味を持続できるかということを確かめようとしている、と捉えることもできる。

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2 ヨーロッパにおける芸術大学の新しいムーヴメント

 情報技術の発達に関連して生み出されたプロダクト、小型化されたコンピュータや携帯電話に代表されるような情報機器のユーザビリティ(使い勝手)の研究とデザイン、言い換えればインタラクション・デザインは未開拓な広大な領域を抱えている。世界の芸術系の大学は、この領域に対してどのようなアクションを踏み出すかという戦略を問われている。
 情報技術の発達は、ビジネスの領域において効率と合理性をもたらした。しかし、現在その技術は一部の人間だけが享受するものではなく、老人から子供までが日常的に生活する環境となっている。デザイナーにとって見れば、ダイナミックに活動する領域がますます広がっていると考えることが出来るのである。以下に紹介する欧州の教育組織は、このように新たに広がった環境を活動の場としている。先見的な教育プログラムを立ち上げたギリアン・クランプトン=スミス女史に話を伺った。


◎Computer Related Design, Royal Collage of Art:/王立芸術大学コンピュータ・リレイテッド・デザイン科
 ロンドンのRCA(王立芸術大学)はデザイン系の単科大学ではなく、芸術・建築・デザインを扱う総合的な大学院大学であり、さまざまなアーティストを輩出している。一方で、ロン・アラッドやジャスパー・モリソンなど、英国を代表する現代家具デザインやプロダクト・デザインのスーパースターを数多く生み出していることでも知られている。
 1989年にRCAに加わったギリアン・クランプトン=スミス(Gillian Crampton Smith)はCRD(コンピュータ・リレイテッド・デザイン学科)を開設した。インタビューにあるように女史の経験を活かして、コンピュータ技術の発達に伴って、高度で複合した作業が可能となり、新たな使い勝手(ユーザビリティ)のデザイン開発が必要とされたからである。この学科ではコンピュータのユーザビリティとそれに基づいたインタラクション・デザインに始まり、環境・コミュニケーション、情報空間とリアルな空間のインタフェイスやインタラクションなどを、欧米の企業と共同したプロジェクトベースで、専門的に扱うようになった。
 コンピュータをオフィスや書斎から持ち出すだけではなく、電車の中や路上、カフェでひっきりなしに情報機器を用いて生活する我々の環境は、室内におけるようなハードウェアのデザインだけでコントロールできるものではなくなっているのである。われわれの日常生活はもっとダイナミックなコミュニケーション環境の中にあると捉えなくてはならない。このジャンルにおける技術の革新とユーザビリティの開発のスピードは、二十世紀の工業的な技術の発展展開とは桁違いでもある。現代の日本における携帯電話の機種更新のスピードやユーザ、特に女子高生を初めとするケータイ(ユーザビリティ)術を例に挙げるまでもないだろう。
 いままでCRDでは携帯電話を用いたインタラクション・デザインを初めさまざまなプロジェクトを行ってきている。


◎Interaction Design Institute/インタラクション・デザイン・インスティテュート(イブレア、イタリア)の創設
 CRDを創設しその組織を率いてきたギリアン・クランプトン=スミスらは、2001年に北イタリア・イブレア(オリベッティの企業城下町)に「インタラクション・デザイン・インスティテュート」を開校した(2006年7月よりミラノ・ドムスアカデミー内に移転)。
 ここでは世界中から大学の研究課程を修了した学生、すでに企業でインタラクション・デザイナーとしてプロフェッショナルに就労しているデザイナーを集め、外部の企業(欧州、北米、アジアを中心とする)とともに企画したプロジェクト単位で、実践的なインタラクション・デザインのモデルを調査研究構築している。そのうちの、あるものは現実のプロダクトやサービスに結実している。情報技術とネットワークによって出来あがった環境を、デザインを用いてわれわれが生きるべきよりよい環境とするべく挑んでいるのである。
 いくつかのプロジェクトのうち特徴的なものは、インタラクションに対する考え方が柔軟かつアーティスティックなことである。ヘザー・マーティン(Heather Martin|現主任)が指導するプロジェクトでは、ヌイグルミを用いた環境コントロールのデバイスを初めとするインタラクション・デザインの感覚的な開発や実験が行われている。いずれも、具体的なプロダクトならではのクオリティとユーザビリティを尊重しているのが特徴である。
 インタビューにあるように、クランプトン・スミス氏は、「社会」におけるサービスの領域、持続的な地球環境といった領域にも、インタラクション・デザインの考え方が広く取り込まれる余地が広がっているとしている。
 具体的なプロジェクトとしては以下に挙げるものがある。
 Applied Dreams/実現された夢|ファカルティと学生によるワークショップ形式のスタジオで進められるプロジェクト。将来あるべきプロダクトと社会のあり方を探る。
 Connected Communities/つながるコミュニティ|増え続ける情報をどのように把握し、またそこでつくられるコミュニティをどのように運営していったらよいか?実際に情報のハブとして運営と活動を行うプロジェクト。
 Personal Technology/個人的な技術|コンピュータ技術や情報技術の発展にともなって変化するユーザビリティとインタラクション、それを受け入れる感覚器官を捉え、デザインの対象とするプロジェクト。
 Tomorrow's Services/明日のためのサービス|社会のサービスにどのようにインタラクション/デザインを適用していくべきか?

図1 イブレア・インタラクションデザイン・インスティチュート外観。オリベッティの工場が並ぶ街の中に位置している。

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図1 イブレア・インタラクションデザイン・インスティチュート外観。オリベッティの工場が並ぶ街の中に位置している。

図2 エントランスホール。

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図2 エントランスホール。



図3 教室内部。少人数で活発なディスカッションが行われる。実験ラボや模型制作室は地下に位置している。プロジェクト室は、各指導教員の部屋に近い上層階にある。

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図3 教室内部。少人数で活発なディスカッションが行われる。実験ラボや模型制作室は地下に位置している。プロジェクト室は、各指導教員の部屋に近い上層階にある。

図4 学生のスタジオ。学生一人に机と、ネットワークにつながったターミナルユニットが与えられている。

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図4 学生のスタジオ。学生一人に机と、ネットワークにつながったターミナルユニットが与えられている。



図5 プレゼンテーションルーム。企業に対して受託研究のプレゼンテーションなどを行う場所。非常に美しいキッチンに隣接している。

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図5 プレゼンテーションルーム。企業に対して受託研究のプレゼンテーションなどを行う場所。非常に美しいキッチンに隣接している。


◎ Interaction Design, Royal Collage of Art/王立芸術大学インタラクション・デザイン学科―RCACRDから発展して創設されたインタラクション・デザイン学科
 上記のRCAのCRDで、クランプトン=スミスといくつものプロジェクトを共同してきたアンソニー・ダンは、2005年からCRDを発展的に改組したインタラクション・デザイン科の主任教授に就任した(本報告では紙幅の都合によりダン氏のインタビューは掲載しない)。 
 ダン氏は自分はインタラクション・デザイナーだと言ったことはない、という。ダン氏はむしろ、インタラクション・デザインをさかのぼる初源的なヒトとモノとの関係を探る研究を続けてきているからである。その姿勢は日常的な生活のなかに浸透した見えにくい環境との関係と仕草を発見したり(電磁波による日常生活のインタラクション研究「ヘルツィアン・テイルズ」)や政治や肉体、医療といった、かつてデザインが研究の対象領域とは考えなかったモノ、コトに対するスタンスを示している。
 氏の掲げる「デザイン・ノワール(恐怖映画のようなシナリオに基づいたデザインプロダクト)」や「コンセプチャル・プロダクト(演劇的なインタラクションをシミュレーションするためのプロダクト)」の考えに基づいた、実際的かつ批評的なプロダクトのプロジェクトがここでさらに展開されることが期待されている。
 これまでダン・アンド・レイビィ(ダン氏と共同するフィオナ・レイビイ|RCAインタラクションデザイン学科講師)は、すでに地球上に張り巡らされている電磁波環境(ヘルツィアン・エンバイロメント)のなかで、建築やデザインを行なっている。このようなデザイン対象となる領域の拡張の作業が、これからのこの学科の教育研究活動のヒントとなろう。
 そこにはデザイナーが作品を自己表現として発表する姿勢ではなく、インタラクションに発生するデザインの大きな領域、いわゆる「ユーザスタディ」や「リテラシー研究」では扱うことの出来なかった批評的な活動が可能となるのである。

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「マイクロプロセッサを搭載したコンピュータがもたらす<やさしい>インタラクション」
インタビュー:ギリアン・クランプトン=スミス氏(インタラクション・デザイン・インスティテュート・イブレア、アカデミック・ディレクター)
聞き手:鈴木明(大学院)

図6 ギリアン・クランプトン・スミス(Gillian Crampton Smith、学長)

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図6 ギリアン・クランプトン・スミス(Gillian Crampton Smith)


聞き手:インタラクション・デザインを一言で定義するとどのようなものでしょうか?


 ギリアン・クランプトン=スミス:私はインタラクション・デザインを、サービス、プロダクト、そしてコンピュータのソフトウェアやツールとの間に生じるインタラクションを対象とするデザインの領域と捉えています。そして、そのデザイン領域は、コンピュータにマイクロプロセッサが搭載されることによって可能となったものです。マイクロプロセッサは、それが開発される以前と比較するとはるかに高いインタラクションの多様性をもたらすと思っています。
 もちろん、私たちは「モノ」つまりプロダクト(工業製品など)とインタラクトしますよね。たとえば、トーストを焼くためにはトースターのどのボタンを押せばよいのかといったことは、だれでもわかっています。でも、このような類のインタラクションは非常に限定されています。
 私はマイクロプロセッサの登場から始まるインタラクションは、かつてのモノとヒトとの間で生じるインタラクションよりも、はるかに重要だと思っています。マイクロプロセッサこそが、新しい種類のインタラクションの多様性を可能にするものだと考えます。デザインによってつくられる新しいモノ、つまりソフトウェアだろうが便利なプロダクトであろうが、それらの全ては、このような、たとえば複雑でありながらもヒトにやさしい感覚的なといったようなインタラクションに応えられる、クオリティを備えるようになったのですね。


聞き手:そもそもクランプトン=スミスさんが「インタラクション・デザイン」をご専門に研究するに至った経緯をお聞かせください。


 私はもともとグラフィック・デザイナーとして活動していました。1981年ごろに、コンピュータのモニタ上でデザインしようとしている本のページ(版面)をレイアウトできるようなツールを作りたいと考えていたのです。その前の年からずいぶんぶ厚い雑誌を作ろうとしたのが、直接的なきっかけです。新しいタイプセット(組版)のためのアプリケーションが必要であると考えていたのですね。
 実は私はそのことでわくわくしていました。複雑で大きな機械のようなものを作るのではなくて、もっと小さなパソコンで動くようなものを作ろうと考えていたのですから…。その結果として、雑誌のレイアウトをデザインすることができる<アップルII>のためのソフトウェアとなりました。それには雑誌のためのサムネイル(ページレイアウト)をスケッチするための計算機能がついていて、たとえば500行の文章があったとすると、その文字量からページごとの行数と全体のページ数を、ただちに求めることができるプログラムです。
 でもそれは、編集者やエディトリアル・デザイナーが用いている今日のDTPソフトのようなものではなく、あくまでもデザイナーのスケッチの手助けというものでした。
 ところが私は、いかにそのプログラムを容易に利用できるものにするか、という点にこだわるようになっていきました。
 そのようにプログラムをつくることが、デザインツールとしてのプログラムをより使いやすくすることができることを知ったのです。そのようなものができると、デザイナーは動き回ったりする必要がなくなります。いかに作業を楽にするかということに関心が移っていったのですね。


聞き手:なるほど…。初めはプロフェッショナルなグラフィック・デザイナーとして、必要に迫られてコンピュータ・プログラムをつくり、それを使っているうちにユーザビリティ(使い勝手)やインタラクション・デザインについて関心を持たれたわけですね。


 現在、コンピュータは全ての人の生活の一部になっています。ほとんどの人は気づいていませんが…。そこでは、デザイナーやプログラマはツールをデザインするあるいはツールの使い方をデザインするというよりも、人びとの「生活環境そのものをデザインする」というようになってきている、と言えます。でも私は、たとえば、マイクロソフトのパソコンに囲まれた生活なんていうものは、とても悲しいと思っているんですよ。コンピュータ・テクノロジーの進化は、ややもすると生活を脅かす危険なものになりかねないのです。


聞き手:そうですね…。現代のプロダクトに搭載されたマイクロプロセッサの普及を見てみると、たとえば携帯電話なんかは特徴的ですが、コギャルに象徴される一般のユーザが「使いやすさ」をどんどん勝手に開発するような現象が見られますよね。


 携帯電話でもなんでも、プロダクトを生み出す過程にはもちろんインタラクション・デザイナーはいます。彼らがそれを上手にやるかどうかは別の話ですけどね…。でも携帯電話はまだ良い方です、小さいものですから。
 さて、初期のコンピュータにおけるプログラムとは、何か具体的な作業を行ったり、何か物事をコントロールしたりするものでした。CAD(コンピュータ・エイデッド・デザイン)とかDTP(デスク・トップ・パブリッシング)とかね。でも携帯電話は、人びとが互いにコミュニケーションすることの手助けをするためのツールです。そこには非常に大きな違いがあると、私は考えています。そのデザイン領域は、以前のデザインが対象とした領域とは非常に異なっています。コンピュータ・テクノロジーが人と人との間を媒介し、その間に存在するものになってきたのですね。それは心、あるいは精神のツールであるといえなくもありません。
 もともと、このようなコンピュータ・テクノロジーとは、以前と同じ作業を「より早く」進めることをできるようにするものでした。DTPを例に挙げればお分かりかと思いますが、かつてそれらの仕事はペンやカッターやその他の道具を用いて行ってきたものですね。
 それに対して、現在のテクノロジーは、精神に関ったり、物事の考え方に関わるものになってきています。ある場合は人なしに、コミュニケーションが成立するようになってきています。「メンタル・クラフト」と呼ぶものですね。
 過去20年間に私たちはコンピュータを用いて身体の能力を拡張し、ものすごい速さで物を切ったりするような仕事ができるようになりました。そして、これからはコンピュータが精神のツールになり、今までと異なったコミュニケーションの方法を開発していくのでしょうね。


聞き手:クランプトン=スミスさんは、さまざまなデザイン活動の研究調査のため何度か来日されていますね。日本のインタラクション・デザインの環境についてはどのようにお考えですか?


 日本を訪れた際、コンピュータを初めとするテクノロジーが、いかにふだんの暮らしに根付いているかということに驚かされました。日本人はガジェットを楽しんでいるようにも見受けられました。言ってみれば、テクノロジーが透明なものになってきているのですね。ヨーロッパには、そのようにテクノロジーの中に喜びを見出すような習慣はないような気がします。それが日本で感じたいちばん大きなことですね。これはどうしてなのか、理由はわかりません。たとえば、米国では、テクノロジーとは、物事をより効率的に、仕事の手助けをするもの、とみなされていますから…。ここヨーロッパでは家庭や友達や自然のクオリティを大切にしていて、テクノロジーに対する抵抗がありますし…。
 ヨーロッパには大都市と呼べるような都市はいくつもありません。でも、いずれの都市もある一定のクオリティを持っています。たとえば、ここから近いミラノ(イブレアはミラノとトリノの中間点に位置する)も、世界的な基準でいえばそんなに大きい都市とは言えません。ミラノの人びとはロンドンなどに比べてそれほど都市(文化的)的とは言えないと思われます。大都市における生活クオリティと人びとの喜び、そしてテクノロジーの間にどのような関係があるのかは気になりますね。今の時点でははっきりしたことを結論できませんが。
 テクノロジーの変化が、プロダクトや社会生活だけではなく人びとの心の中にどのような影響をもたらしているのか、という問題があります。コンピュータ(演算能力、処理能力)のスピードはユーザに対しても、同じスピードでリアクションすることを求めてくるわけですから。コンピュータ・ゲームはそのかなり過激な例と言えますね。
 私も昔はレイアウト仕事をしていました。かつて手でその仕事をしていたときには、本題のデザインに取りかかる前に、これから進めるべき仕事についていろいろなことを考え、どのような戦略を用いてそれを進めていくかというようなことを準備する、とてつもなく長い時間を必要とするプロセスがありました。でも、コンピュータはそれを必要としません。ただし、コンピュータを用いることによって、このようなプロセスと時間を節約することができる反面、物事がすごくおっくうになってしまうという弊害があります。コンピュータは人を怠けさせるのです。ただソファに座って、コンピュータの前で何もしないでいるというようなデザイナーも少なくありませんからね。
 コンピュータ上で人と知り合い、最終的に結婚したりするなんていうようなことも現実に行われるようになりましたが、私にはとても奇妙なことだと感じられます。それを、より信頼できるものだと言う人もいますけれどもね。現実の世界ではよく起こり得ることですが、偶然の出会いで、瞬間的に惹かれ合うというような出会い方より、もっと知的だと言うんですよね。インターネットを介してオンラインによる出会いだと、すべてがゆっくりと進んでいきますからね。
 たしかに、このような物事の考え方についての変化はすごい。同じようなことが私たちの生活を大きく変化させてきていると思いますね。


聞き手:さて、ここイブレアの大学で行われている、インタラクション・デザイン教育の具体的なプログラムについてお聞かせください。


 私たちがここで取り組んでいるのは、物理的なインタラクション・デザインのプログラムです。さらに、社会的なサービスの領域もデザインの対象として同様に取り組んでいます。高度なコンピュータ・ソフトウェアが次つぎに登場したおかげで、以前より容易に物事を処理したりできるサービスが提供されていますね。ここで私たちが取り組んでいるのは、より洗練された技術でありデザインです。そのことによって携帯電話なんかがつくられ、普及したりするのですから。ソフトウェアのデザインこそが、私たちの生活に大きな変化をもたらしているのです。ここでは本当に沢山の課題が取り組まれています。インターネットによるオンラインのものもあれば、そうでないものもあります。
 私たちはインタラクション・デザインをコミュニケーション・サービスに取り入れるいくつかのプロジェクトを進めています。
 目に見える「商品」であっても、その背後にはいろいろなサービスの要素を備えています。たとえば、ラジオというようなプロダクトを考えてみましょう。もしBBCのような放送局が存在しなければ、そのプロダクトには何の価値もありません。洗濯機ですら、それを使用する人間がいなくては意味がありませんね。プロダクトとは、もともとインタラクションの複雑性を包含したものであって、そのプロセスにおけるひとつのツールでしかないのですね。
 サービスとは、目に見えないバーチャルなものということから、それは結局私たちのモチベーションであり、想像上のものにすぎないという考え方もできます。人の欲望と同じように抽象的なものである、と。もちろんサービスは商品で、現実世界にはあるものですが、物理的な何かのように、考えたり楽しんだりするのとは異なっています。
 あなたはサービス・デザインをもっぱら行うロンドンの「リブワーク(Livework)」をご存知でしょうか?  そこにはRCA(英国王立芸術大学院大学)の卒業生が所属して、デザイン活動を行っています。デザイナーがなぜそのような組織に所属して働くのか奇妙に思われるかもしれません。彼がプロフェッショナルなデザイナーとしてそこで活動する理由を尋ねると、私たちすべてが属している、地球という惑星の持続性の危機という問題に直面しているからだ、と考えたからとのことでした。
 私たちの「生活」はモノを中心に回っているということに対して疑いを持つ人はおそらくいないでしょう。端的に言えば生活とは買い物に行ったりすることになっていますね。欧米社会、イコール、消費社会であると言えます。まったく持続的な行為であるとは、とても言えませんね。そこで彼らデザイナーは、どのようにすれば社会のサービスがモノを介さないで、できるかを追究しているのです。そのことによって果たして人びとが満足感を覚えることができるのか、というような課題もありますね。モノを必要とするのではなく「体験」を提供するサービス・デザインということができます。


聞き手:なるほど。かつて日本に滞在したアメリカの建築家、バーナード・ルドフスキーは『みっともない身体』という本の中で、物質的なサービスに慣れた欧米のツーリズム文化に対して、日本の旅では大きなトランクやスーツケースは必要ない。なぜなら旅館には滞在中のあらゆるサービスが備えられている。浴衣やゲタや番傘など、あらゆるサービスをきめこまかくしていることについて触れていましたね。


 私は、日本の文化や社会が二面性を持っていると思っています。ひとつは、現代的な物事の楽しみ方で、そこに新しいテクノロジーが利用されています。もうひとつは、そうでないもの、最小限のもので生活を楽しもうという方法です。私たちは最小限のもので生活を楽しむようなそのやり方を見習わなくてはいけません。
 イギリスには、ものづくり産業というのはほとんどありません。イギリス経済とは、サービス産業で成り立っていると言えます。いつの時代も、最低限国民に与えられるべきサービスというものはあります。教育や、防衛、医療・・・イギリスには、デザインがなされるべき余地があると思います。
 例えばスリッパのように、物理的なモノによる領域がある一方で、そうでないもの、例えばインターネットがありますよね。インターネットについてはさきほどすでに述べました。確実に、インターネットは莫大な影響力をはらんでいます。最も大きい影響力を持つと言えるでしょう。


聞き手:インタラクション・デザインは、領域はさらに広く、環境までを含む社会生活に取り組まれているわけですね。
 最後にクランプトン=スミスさんは、今年度を最後にイブレアを離れるそうですね。その後の活動についてお聞かせください。


 当面、私はインタラクション・デザインについての本をまとめようと考えています。それは、デザインを学ぶ学生向けの本となると思います。インタラクション・デザインについてどのように考えればいいか、グラフィック・デザインを中心に、モノ、すなわちプロダクトのデザイン、そしてサービスのデザインという視点から考えていきます。
  さらに素材についても考察します。例えば、プラスティックを用いてデザインするときには特定の性質を前提として、デザインの可能性には限界がありました。素材の特性に基づいて、デザインにおいてもできることとできないことがあったわけですね。ところが、現在、コンピュータを用いることによって、プラスティック素材について、さまざまなシミュレーションを行い、その可能性を広げることができることになっています。
 私たちデザイナーは、メディアを知り尽くしていなくてはいけないと思います。私はグラフィック・デザイナーとして、紙つまりプリントの媒体について熟知していなくてはならない。ひとつのモノを別のモノへとプリントした際に、何が起こるかを知っていなくてはならないんですね。
 活字による活版印刷とデジタルフォントの違いについても、同じように理解していなくてはなりません。デザイナーは、彼/彼女が請け負うすべての領域に関して、それを自分自身のクオリティとして熟知する必要があるのです。
 インタラクション・デザインの欠点をもし挙げるとすれば、それは、ヒトの行為やサービスに生じるので、目に見えにくいところです。ですから、インタラクション・デザイナーはいろいろなプロダクトのデザインから学ぶところが多いと思います。プロダクトに対し、何がデザインされ、何がなされているのかを知る必要があるからです。それは建築家が、コンクリートを使用して何ができるのかを知る必要があるのと同じように思えますが、インタラクション・デザイナーはヒトの感性を利用して何ができるのかを知らなくてはなりません。

図7 2005年の卒業制作DVDのメニューページ。画像をクリックするとそのプロジェクトの詳細な説明がムービーで展開する。

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図7 2005年の卒業制作DVDのメニューページ。画像をクリックするとそのプロジェクトの詳細な説明がムービーで展開する。

図8 ヘザー・マーティンのクラスのプロジェクト 白い半透明のプラスチックの箱に触れると周波数が表示される。

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図8 ヘザー・マーティンのクラスのプロジェクト
白い半透明のプラスチックの箱に触れると周波数が表示される。



図9 指を動かすと、チューニングが変わる。

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図9 指を動かすと、チューニングが変わる。

図10 箱を立てると、センサーが作動して別のモードに入り、ボリュームコントロールが可能となる。

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図10 箱を立てると、センサーが作動して別のモードに入り、ボリュームコントロールが可能となる。



図11 指導教員のヘザー・マーティン(Heather Martin)。現在最も注目されるデザイナーのひとり。「オン・オフのスイッチはもちろんこのクマさんの中よ! ラジオはベッドにねころんでコントロールしたいでしょ?」

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図11 指導教員のヘザー・マーティン(Heather Martin)。現在最も注目されるデザイナーのひとり。「オン・オフのスイッチはもちろんこのクマさんの中よ! ラジオはベッドにねころんでコントロールしたいでしょ?」


注・引用文献
http://www.livework.co.uk/
図版出典
図1~4
http://www.interaction-ivrea.it/
図5~11
小山明撮影


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