Garden City MAITAMON in Kobe, MITSUIKE Project4, MITSUIKE MINAMI Project
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0-1 「ガーデンシティ舞多聞」の概要
神戸「ガーデンシティ舞多聞」は、神戸芸術工科大学の約1km南に位置する、旧舞子ゴルフ場跡地(約108ha)で開発されている。施行者の都市再生機構は、計画人口約8,400人、計画戸数約2,600戸を予定し、2011年の事業完成を目指す。(図0-1-1、0-1-2)
第一工区の「みついけプロジェクト」は、都市再生機構と、2001年からプラン提案策定業務を受託している神戸芸術工科大学との連携で進められている。約6haに、旧ゴルフ場のなだらかな地形を生かした緩やかな曲線を描く道路、約120坪~500坪(平均約220坪)のゆとりある宅地68画地、街区公園(舞多聞みついけ公園)、都市計画緑地が配置され、自然豊かな住宅地を実現している。全画地が、一般定期借地権方式(50年)で供給され、借地価額は月額4万4千円~12万8千円(保証金200万円の場合)となっている。2006年3月に、建築・緑地協定を含む定期借地権契約が結ばれ、個々の住まいづくりが開始された。
第二工区の「みついけ南プロジェクト」は、「みついけプロジェクト」の南西部に位置する。全82画地のうち、23画地は、「みついけプロジェクト」のコミュニティづくりの内容を引き継ぎ、ワークショップで事前に形成したグループ単位で応募する「グループ申込型宅地分譲」が採用され、2007年春に宅地引渡しが行われた。残りの59画地のうち、27画地は民間住宅事業者による分譲、22画地は一般宅地募集によって分譲された。(図0-1-3)
また、2007年3月にはみついけの中央部と南西部に、「舞多聞みついけ公園」と「舞多聞まちづくり館」がそれぞれ完成し、3月25日に「みついけプロジェクト」「みついけ南プロジェクト」の住民主体の「舞多聞まちびらきフェスタ」が開催された。
0-2 「ガーデンシティ舞多聞」が生まれた背景
(1)質的改善について考える時を迎えた「オールドニュータウン」
居住環境の質よりも量の獲得を目指して開発されたという、戦後日本の「オールドニュータウン」はやがて50年を迎えようとしている。次の50年を目指す「オールドニュータウン」は今、質的改善について考える時を迎えている。(図0-2-1)
一方、「ニュータウン」の指針となった「田園都市思想」の最初の実践及び実験である、イギリスのファーストガーデンシティ「レッチワース」は、修正を繰り返しながら100年を超えた今も生きつづけ、更なる質的改善に取り組んでいる。私たちは、レッチワースの100年の経験に学び、日本の「オールドニュータウン」とその環境の再生への手掛かりを得ることが可能と仮説した。(図0-2-2)
(2)ガーデンシティ・レッチワースの実験から学ぶ
居住環境のデザインやプランニングは実験の積み重ねである。また、デザインの実験には検証が求められる。ガーデンシティ「レッチワース」の実験は100年をかけて検証されてきた。しかし、今の日本のニュータウンは検証がなされぬうちに解体が始まってしまった。
住まいや環境づくりの実験の前には仮説が求められる。仮説無きデザインやプランニングは次の時代をつくらない。また、実験には失敗がつきものである。しかし、その失敗は限りなく成功へ向けた、次の目標を生み出すための失敗でなくてはならないと考える。
今までの憧れとしてのガーデンシティとハワードの「田園都市思想」ではなく、100年間の栄光と失敗の経験を読む「ケーススタディ」としてレッチワースを捉えた。
(3)「新田園都市国際会議2001」
レッチワースの建設開始から100周年を目前に控えた2001年9月10日~15日、レッチワース財団、つくば市、神戸市、ウエストミンスター大学、そして神戸芸術工科大学が中心となり、つくば市と神戸市において、「田園都市思想」と「レッチワースの100年の経験」に着目した「新・田園都市国際会議2001」を開催した。(図0-2-3)
会議には、日本国内からの参加者に加えて、アジア・アメリカ・ヨーロッパ・オセアニアの13カ国から延べ1,563名の参加者を得て、様々な時代や地域の都市計画やまちづくりが議論された。多岐に及ぶテーマは「過去に学び、現在を知り、そして未来へつなげる」という3つの側面から整理され、そこでの成果は「新・田園都市コンセプトマトリクス2001」という「新しい住まいのデザイン」「新しいコミュニティ」を生み出すための18項目のコンセプトに集約された。(図0-2-4)
(4)ニューガーデンシティ「舞多聞」の可能性
レッチワースの成功と失敗の100年の経験を鏡にした「ガーデンシティ舞多聞」の実験が、2001年神戸で始まった。そして、6年間の「住まい」と「コミュニティ」と「まち」づくりの実践を経て、2007年3月まちが開かれた。
6年間の「ガーデンシティ舞多聞」の実験を行う中で、私たちは、より質の高い住宅と信頼できるコミュニティと美しいまちに住みたいと望む声が多いこと、人々は均質的なそして平均的な住宅地には満足してはおらず、常に次の質を持った環境を求めていることを実感している。また、人口が減少する将来に向けて、住まうことによって広い土地と環境を維持する国土保全の切り口を発見した。
私たちは、「ガーデンシティ舞多聞」の実験が、次なる目標を定義する役割を担い、与えられた資産をうまく活かし、さらなるステップに展開していかなくてはならないと考えている。そして最も重要なことは、この実験を100年間継続していくこと、と考えている。
0-3 研究の経緯
本稿は、2001年度より神戸芸術工科大学が都市再生機構から受託し、事業協力者として継続的に携わっている、神戸「ガーデンシティ舞多聞」に関する一連の報告である。2004年度の神戸芸術工科大学の紀要に掲載された「新・田園都市の実験-神戸『ガーデンシティ舞多聞』みついけプロジェクト-」(執筆代表者 齊木崇人)と、2005年度の「神戸『ガーデンシティ舞多聞』みついけプロジェクト-コミュニティづくり、住まいづくり、ルールづくり-」(執筆代表者 齊木崇人)、2006年度の「神戸『ガーデンシティ舞多聞』みついけプロジェクト2-住まいづくり、ルールづくり、ネットワークづくり-」(執筆代表者 齊木崇人)の内容を引き継いでいる。
2004年度は、1)本プロジェクトの主要なコンセプトである「新・田園都市構想」の礎となったイギリスの「田園都市思想」と、その実践の場となった世界初の田園都市「レッチワース」、2)「田園都市思想」と「レッチワース」の持続可能性に着目し、2001年に開催された「新・田園都市国際会議」とその成果物である「新・田園都市構想」、3)「新・田園都市構想」を基本理念に計画された「ガーデンシティ舞多聞」のマスタープランと「みついけプロジェクト」の実施計画策定、4)「みついけプロジェクト」のコミュニティづくりの仕掛けとその実践、5)以後の展開、についての報告を行った。
2005年度は、「みついけプロジェクト」の、1)入居予定者決定までの経緯(コミュニティづくり)と、2)住宅プランの個別ヒアリング(住まいづくり)、3)2006年春の宅地引渡しまで行われたコミュニティワークショップ(ルールづくり)についての経過報告を行った。
2006年度は、「ガーデンシティ舞多聞」みついけプロジェクトの概要、研究の背景について述べた後、プロジェクトの内容を、空間デザイン、コミュニティデザイン、コミュニティマネージメントの3項目に分類した上で、1)協定・ガイドライン(ルールづくり)、2)住宅デザインの提案(住まいづくり)、3)サポート体制(ネットワークづくり)について言及した。
本年度は、「みついけプロジェクト」の、1)住まいづくり、2)コミュニティマネージメント、3)グリーンネットワーク、の実践と、「みついけ南プロジェクト」の、1)コミュニティデザイン、2)スペースデザイン、3)コミュニティマネージメント、の実践について言及する。