Symbolic Features of Hands from Asian Dances
手は雄弁である。時としてそれはことば以上に何かを伝え、表現する。コミュニケーションの一方法として非言語的な手段の重要性が指摘されているが、まさに手を用いることほど豊かな発話性をもつ非言語的な方法はないのではないかと思われる。日常的な状況においても手の働きは無視できないほどに大きい。何気ない動作であったとしても、必ずそこには手が介在している。
ヒトは直立二足歩行をすることで、手を解放し、道具を使うことが可能になったといわれている。手は道具を使うための重要な器官として、「にぎる」「つかむ」「はさむ」「かく」「つまむ」などのさまざまな役割を果たしている。さらに、「握手」や「手をつなぐ」ことに代表されるように、対人関係を作りあげ、確認する媒体ともなっている。手による身振り、つまり手振りは、身体器官を用いたしぐさや身振りのなかでも、最も高度に発達し、最も多用されている。それは手が比較的自由に、意のままに操作できるからであり、ひいてはより複雑で、より正確な、それゆえ高度な表現が可能だからである。
手の表現力は、手腕、手首、手指を中心としてそれぞれが単独で動いたり、あるいはいくつかを組み合わせて動くことから生じる。片手には26個の骨がある。13個の指接骨、5個の手中骨と8個の手根骨である。その筋力は手の筋肉組織自体から生じるだけでなく、離れた前腕の筋肉からも生じる。親指全体が他の指と向かい合わせになっていることから「にぎる」「はさむ」「つかむ」などの精確な動作が生まれるのである。こうした手の解剖学的な機能によって空間を身体化し、自由自在に表現することが可能になったのである。指の動きが非対称的であることによってそうした表現への信頼性が保証されているのである*1。
手が音声と同じように何かを表現する言葉であり、媒体であることは、一般に考えられているように社会的なコミュニケーションの手段としての言語が、われわれの経験や感情や思考を余すところなく表現できるのではなく、微妙で些細な感情の機微や情感に対して十全に表現する能力を欠いていることの一つのあらわれでもある。数限りない身振りの中でも、手を用いずに、あるいは手を欠いていたとすれば、われわれの表現の幅は極端に狭められることになるだろうことは明らかである。
何かを語り、何かを表現する手の能力はこれまでにもさまざまな形で注目されてきた。手のしぐさをコード化しようとする数限りない人為的試みには、そうした限りない努力の跡をみることができる。
たとえば、西洋の例では、イギリス人のバルワー(J. Bulwer)が1644年に出版した『カイロロギア(Chirologia)』<手の発話法>では、誰もが理解できる言語を創造することを目的に、ギリシャ、ローマなどの古典古代からの慣習にもとづく200枚以上の手振りの挿絵が収集されている(図1)。西洋で初めてのこの試み以来、手による普遍言語を人為的につくりだそうとする試みがさかんにおこなわれてきた。図2も同様な意図から考案された手による言語的表現の一つである。しかし、これらの図から見てとれるように、その多くは日常の手振りを記号化したに過ぎず、さらに体系的でもない。障害者が用いる手話だけが、19世紀になってからはじめて国際的に体系化されるようになっただけである。
西洋における手の言語化の試みは、コミュニケーションの手段としての手が口頭言語と代置でき、発話性をもつことから考案されたものである。手振りが「音声」であることは確かなことであり、それらの多くがそのための明確なコード体系を創出しようとしたものである。手話をはじめとして、日本の株式市場やその他の市場で多用されていたような多くの手形(図3)などの意図的につくりだされた人工的な身振り言語はその代表的なものと考えることができる。
しかし、これら多くの西洋の例は、コミュニケーション手段としての記号の規範性、つまり記号を理解するための共通の基盤を欠いている。その意味でこれらは単なる独善的な試み以外の何ものでもない。そのため、これらの考案された手の仕種が一般的に用いられるようになったことはない。本来、手の表現性、手がつくりだすかたちは、手の発話性を支えるコード体系に依存している。規則や体系をもってはじめて、手のかたちに意味と機能が付与されるのであるが、手を用いた仕種がわれわれにとって当たり前すぎるほどに日常的であるがゆえに、人工的な動作には容易になじめないものがあることも確かである。
手が日常的なコミュニケーションの中で重要な役割を果たしていることは明らかであるが、普段の何気ない身振りを子細に観察してみると、無意識のうちに手が動き、表現していることに気づかされる。あたかも手が独自に動き、そこには手独自の思考力があるかのようにもみえる。
19世紀後半のアメリカの人類学者フランク・カッシング(Frank H.Cushing)はアメリカインディアンのズニ族を調査する中から、彼らの手を用いた表現や身振りに注目した。アメリカインディアンの手を用いた会話は有名であるが、これは部族ごとに異なる言語を話すことから考えだされたともいわれている(図4)。
カッシングは、人間の知的発達を3段階に分けて考えた。第1段階では、人間は動物のなかの一つの種として、人間だけが「自由な手」をもつことに成功し、第2段階では自然に屈することなく手によって自らの世界をつくりだし、第3段階では、知的、精神的、実用的な力、適応能力を、手を使うことによって体得した、というものである。当時の進化主義的な思想の影響を受けていたこともあるが、カッシングは、ズニ族が用いる数名詞、空間・方位の観念、建築物の構造や祭りの儀礼的巡回の手順などが、彼らの手の運動に由来し、自然の性質と手の動きの対応関係から生みだされたものであるとした。つまりズニ族の世界は、手の運動を媒介にして生成し、自然は手によって模倣されることで文化になったというのである。そして「人間の手は人間のこころときわめて密接に連関していて、手は人間の頭脳の触知しうる所産のみならず、触知しがたい思想までもかたちづくった」と結論づけた。カッシングはこの手の言語を単なる会話の代替物とはみなさず、「原始の人は、言語に先立って、手によって考え、手によって話した」と考えたのである。ここから、「言語による概念」とは別に、手の運動を通して形成される「手の概念」を導きだし、その存在を主張した*2。
カッシングの唱えた「手の概念」は、非常に魅力的で興味深いものがある。後に前論理的な「未開心性」の研究で有名なレヴィ=ブリュール(Levy-Bruhl)も、代表的な著書である『未開社会の思惟』において高く評価しているほどである。しかし、「手によって考え、手によって話す」とは、いったいどのような位相でとらえればいいのだろうか。レヴィ=ブリュールは先の著書のなかで次のように述べている。
「手で話すことは、ある程度まで、字義通り手で考えることである。この『手の概念』の特質は、思考の言語的表現の中に、再現されるはずである。表現の一般過程は類似的でこの二つの言語は、その徴標(身振りと音)の点では非常に異なっているが、その構造と対象、行動、状態を表出する仕方とは、近いものであろう。」*3
つまりそこには未開の心性とでもいうべきものがあり、その思考構造からそれぞれ異なる方法で手による身振りとなり、言語による表現となるというのである。これは、未開人の思考様式として、われわれの因果律や矛盾律に関係なく、表象のなかで神秘的に結びつけられた存在、対象のあいだには融合する関係があるとする、彼の「融即(相即)の法則」*4と近いものがある。レヴィ=ブリュールがカッシングを積極的に評価したのも、こうした点があったからにほかならない。手が独自に思考し表現する能力をもつという視点は、手を言語中心主義的(ロゴセントリック)な思考から解き放つ可能性をもっているともいえる。
カッシングは「手の概念」を文化理解の方法の一つとして考えたわけであるが、手によって話し、手によって考えるというこうした考え方は、一見すると奇抜にみえながらも、人間の思考過程の奥深くに潜在しているのかもしれない。独自のアニミズム観、宗教観で知られる文化人類学者の岩田慶治は、茶道の稽古で初心者が袱紗をたたんで棗を拭くことを繰り返すうちに、季節にふさわしい点前を覚えることもそうした例にあてはまると指摘する*5。これは文化の生成を手の動きにもとづいて考え、その始原の位相において手が重要な役割を担っていたととらえる方法である。
カッシングの「手の概念」は、西洋にみられるような単なる身振り言語として手のしぐさだけをとらえるのではなく、手と身体、手と世界の相互関係の中からより広範な可能性をもつある種の思考として考えているともいえる。演劇や舞踊は、まさに「手によって考え、手によって話す」というカッシングの「手の概念」がそのままにあてはめて考えることができる手による表現の豊かな伝統をもっている。とくにアジアの演劇では手による表現がきわだって発達している。以下では、そうしたアジアの演劇のなかに見られる手の扱われ方について見ていくことにする。