広西省桂林から貴州省増沖集落までの約900キロの道のりを、車で走ること1日半。美しい棚田の風景が広がり、深い峡谷の谷間を川沿いに進んで行くと、増沖に到着する。(写真3)増沖は榕江県に隣接する従江県北西部の谷筋に位置し、渓流に沿った平地に集落は立地している。集落には「風雨橋」と呼ばれる屋根つきの橋が3ヶ所あり、集落を取り囲むように流れている川の対岸に向かって架かっている。(写真4)風雨橋は集落の入り口を意味し、橋としての機能だけでなく住民のコミュニティの場としても機能している。
増沖には谷底の蛇行する川岸に272世帯、1256人の人々が鼓楼建築を中心に二階建ての木造住宅に密集して住んでいる。集落は川に囲まれ、周辺は棚田と山林の美しい風景が広がっている。
(図5)
2-2 伝統的空間-鼓楼
増沖の鼓楼は約330年前の清代に建設され、1981年に省の重点文物保護単位に指定され、1988年には重要文化財に指定された。面積115m2、高さ26m、内部を空洞にし十三層の屋根を持つ八角形の平面構成をしている。
鼓楼建築の特異な形態は、その時折に氏族社会強化の必要性によって幾度もの変化の末、洗練されてきた結果であると言われている。鼓楼はかつて緊急時に村人を集めるために使われていたが、現在は住民の集いの場、集落共同体の多目的集会所や広場、舞台等のイベント施設、社交場的コミュニティセンター、また論議や権力等を行使する場として機能している。(写真5)
増沖の鼓楼は集落の中心に位置している。鼓楼を建設した後にそれを取り囲むように住居が造られ、現在の集落構成になったと言われている。鼓楼周辺の広場には人々が集まり、前面の池では女性たちが洗濯や洗髪をしている。子供たちの声が響き渡り、活気に満ちた空間となっている。
当初、鼓楼の建設予定地だった場所は風水の原理から見ると位置が悪く、また集落の中心ではなかったために現在の中心地に計画されることになった。その鼓楼を取り巻くかたちで住居が建設されていった。(図6)
2-3 通路と水路にみる集落構成
増沖集落は南北約272メートル、東西約145メートルの楕円形をしており、集落内には通路と水路が複雑に入り組んでいる。(図6)(写真6・7)川の上流から流れ込んでくる水は主に生活用水に使用される。水の鮮度順に表記すると、生活用水→洗濯→洗髪→藍染→家畜に使用する水として、取水する場所が異なる。汚れた水は川の下流(集落東側)に流れ出す経路になっており、そのため水路も集落西側には設けられていない。住宅は一部高床式の構成をとっているため、住居の下を通って水路が設けられている所もある。飲料水は集落外に2ヶ所、集落内にある1ヶ所ある井戸から汲み上げる。井戸の水温は冬は16度、6月は0度と最も低くなる。
集落内の通路は石畳で舗装されており、鼓楼を中心とした網目状の広がりが集落全体を構成している。
2-4 住居の造形技術と集合原理
トン族の住居は、木造2~3階建ての高床式で釘や金物を一切使わずに1階から3階までの通し柱を使った軸組工法である。小屋組みに梁を用いず、貫と束を縦横に組み合わせて屋根を支える穿闘(chuan-dou)式架構と、叉首構法、の2種類の構法が用いられている。その高い建築技術からトン族は別名「木の民」とも呼ばれている。(写真8)
集落は鼓楼を中心に形成され、棟はほとんどの住居が南北に向いている。(写真9)山から谷へと吹き込んでくる風が心地よく、密集した配置構成をとりながらも快適に過ごすことができる。
滞在中の2005年9月4日の増沖集落における気温・室温を8ポイントで測量した。(図7)(表1)その結果、集落内部では気温が低く湿度が高いことが分かった。逆に集落周辺部では気温が高く湿度が低い。風雨橋では気温・湿度ともに低くまた川から流れてくる風が心地良い。
住居は日照や通風が考慮され、周辺住居とは棟高や棟位置が交互に重なり合いながら配置されている。屋根裏の空間には壁はなく、物置として使用されている。多くの住居は木造だが、中には石造の住居も見られる。倉庫・食糧貯蔵の役割をもつ「高倉」は、その所有者の住居と近接して設けられており、住居と高倉が入り混じった景観が見られる。
2-5 住居建設の仕組み
トン族の木造技術は大変優れており、独自の伝統技術が今なお継承されている。今回の調査期間中に、1件の新築工事を見学する機会を得、大工の棟梁や設計士に話を聞くことができた。増沖集落では新築工事を行う際、5人の風水師の中から1人を選び土地の選定を行う。大工の棟梁は集落内に2人おり、どちらに依頼するかは個人で決めることができる。新築予定地は村長に報告し許可を得なければならないが、許可が下りなければ集落外の敷地に建設することになる。
1)古い住居の解体(写真10)
・古い住宅がある場合解体し、再利用できる素材の選別を行う。
2)大工の棟梁・設計士によるプランニング(写真11)
・設計士がプランの構想を組み、棟梁が木材の調達・加工・作業 a分担を指示する。
3)周辺林地からの木の伐採(写真12)
・周辺山林から杉の木を伐採し、傾斜を利用して川辺まで運ぶ。
4)川辺での木材加工(写真13)
・乾燥させた木材を加工し、寸法を揃える。
5)建設現場での木材加工(写真14)
・棟梁の指示に従い木材を加工していく。現場からでる木屑は女a性や子供たちが掃除し、生活に利用する。
6)住居の骨組みづくり(写真15)
・建て方には若者も手伝い、技術を継承する。足場はつくらない。
工事には大工の棟梁1人、設計士1人、大工の基本知識がある住民約15人で進めていく。彼らは、普段は農家で生計を立てているが、建築の仕事が入ったときのみ作業に参加する。基礎は15~20人がかりで約10日間で完成させ、約8日間で骨組みを組んでいく。棟梁は「メイバン」と呼ばれる竹の定規に基いて材料を加工していく。(写真16)メイバンは棟梁自らが作成するため、材料の加工やディテールは棟梁だけが知っている。(写真17)工事の際にはメイバンを数本所有し、そこに記された寸法に基づいて材料を加工していく。住居を建設するごとにメイバンはつくられるため、同じデザインの住宅は存在せず、集落には全て個性を持ったオリジナルな住空間が生まれている。(図8・9)
住居は全て周辺の山林から取れる杉材を使用する。杉の木は土がよければ約20年で直径40cmの大きさまで成長し、直径30cmの木は1本60~70元(1元=13.5円:2006年6月現在)で売買される。住民の共有財産として集落から約2km離れた山林を所有しており、集落内の共有財産を建設・再建する時にはその山林の木が使われる。旧暦の10月(新暦の11月)に着工できるのが理想的で、材料となる杉材は3月に伐採し乾燥させておく。住居は1件あたり約80坪の広さがあり、2万元が一般的な建設費とされている。
2-6 住居建設の仕組み
調査期間中に泊めて頂いた村長の雷さん宅の実測・聞き取り調査を行った。(写真18)(図10)
家族構成:夫婦、子供(女・8歳)、子供(男・1歳)
1階には台所、居間、夫婦の寝室、物置がある。(写真19・20・23)居間と台所はそれぞれ2部屋ずつあり、2世帯同居ができるようになっている。2階には子供部屋、客間、寝室、織物室があるが子供は集落から数十km離れた学校で寄宿生活をしており、週末にしか帰ってこないため、普段の暮らしでは2階はほとんど使われていない。(写真21・22)住居には電気が引かれており、テレビやラジオ、冷蔵庫、炊飯器、扇風機、電話も使用されている。雷邸では2階以上の空間では靴を脱ぐ習慣があり、床は板材を使用しているが、1階の土足空間ではモルタル仕上げになっている。居間は冬場、タライにはった湯で顔や髪、歯を洗う場でもあり、防水性に優れ掃除がしやすい空間となっている。居間は玄関の役割を持っており、客はまずここに通される。家族も1日の大半をここで過ごす。食事の用意は、切る・洗うなどの水を使う行為は外、火を使う調理は台所、と機能を分けている。倉庫は池の中に建っているため、高床式になっており、一部がトイレになっている。
本来、トン族の住居では階段状に切り開かれた斜面地に高床の住居を建設するが、増沖集落では平地に建てられているため高床式の住居はほとんど見られなかった。高床式では1階は家畜、2階以上が居住空間となるが、増沖集落では1・2階ともに居住空間として使われている。家畜は別棟で飼われていることが多い。
調査中は2階の子供部屋と客間を借り、食事は雷さん家族と一緒に頂いた。住まいの中にトイレと風呂はなく、滞在中は集落の人々と同じように満天の星空の下、川で水を浴び、集落内に3ヶ所ある二本の板を渡した共同トイレを利用した。