ここでは、インドからシルクロードを通ってもたらされた仏教美術のうち、壁画に描かれた唐草文様に着目した。特に天井壁画(図10)には唐草文様が数多く見られ、周囲に生まれた余白部分をうずめていく機能を発揮している。この天井壁画から唐草の部分を抜き取って時代的変遷をしらべた。(図15)
前期窟(420-581)北涼・北魏・西魏・北周
北涼時代の石窟は三つ現存する。そのひとつ272窟には天女が飛翔している(図11)。仏や菩薩の顔や体躯に黒くて太い縁取りが目立つが、これは立体感を出すために白地に丹の隈取をしたものが変色してこのように見えている(図5、11)。図9の美人図の端にある顔も変色して黒くなっている。もとは中央の菩薩同様の美人だったであろう。唐草文様は、ガンダーラの雰囲気を残しており、線の強弱で力強く表現されている。
中期窟(581-907)隋・初唐・盛唐・中唐・晩唐
莫高窟の造窟活動の最盛期を迎える。唐草文様のデザインは、温和で秀麗となっていく。また、実際の植物にちかづける写実的な方向も現れてくる。種類は多く、色彩表現も豊かである。晩唐には複雑ではあるが形式的な表現になっていく。
初唐時代には、忍冬唐草(図12)や宝相華唐草(図13)なども見られる。また、中国古来からの文様・雲形文様(図14)も数多く描かれている。
後期窟(907-1368)五代・宋・西夏・元
写実的で色彩豊かな唐草文様も存在するが、全体としてはますます形式的になっていく。西夏時代は単調な唐草が出現する。
まとめ
莫高窟は、険しい崖壁にひっそりと並んでいる幽暗神秘の洞窟であり、僧侶が修行する場である。そこに表された壁画は仏教を伝える説話図であり、伝記物語ある。また、中国の伝統的な神仙伏義、女渦、王、王母、風神、雨神。雷神、電神が描かれ、仏教世界の神様と平和に暮らす場所となっている。この地は1000年の間に漢民族をはじめ、いろいろな民族に支配されている。そのため各々の時代の中央アジア、南アジア、東アジアの民族の息吹を十分感じとることができる。西域の雄健な風格、南朝の洒脱な風格、大唐盛世の豪放な風格、唐以後の洗練された風格、が並存している。その一遍を天井壁画の唐草文様にも見ることができる。
1) | 敦煌藻井臨品選 段文杰他 陜西旅游出版社 1997 |
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2) | 敦煌石窟 樊錦詩 甘粛文化出版社 2000 |
3) | 敦煌石窟 精選50窟鑑賞ガイド 樊錦詩、劉永増 文化出版局 2003 |
4) | 世界史年表・地図 亀井高孝ら 吉川弘文館 2003 |