0-2 「ガーデンシティ舞多聞」みついけプロジェクトが生まれた背景
(1)日本の「住まい」とその環境への問いかけ
日本における「住まい」とその環境の質的改善が求められて久しい。しかしながら、今日の居住環境には、無秩序な土地利用、田園地域の荒廃、歴史的遺産の崩壊といった問題に加え、既存のニュータウンでは、少子高齢化、地域コミュニティの崩壊、雇用機会の喪失、犯罪、疾病などの問題が顕在化し、都市再生や環境改善を必要とするが、その目処が立たない地域も出現しつづけ、都心や郊外ニュータウン、田園地域における「住まい」とその環境が抱える問題は深刻である(図0-2-1)。
(2) 戦後の日本のニュータウンの再生課題
住まいのモデルをつくってきた日本の戦後のニュータウンの建設は、大阪・千里ニュータウン(1958年)にはじまった。次いで、名古屋・高蔵寺ニュータウン(1961年)、東京・多摩ニュータウン(1965年)、茨城・筑波研究学園都市(1963年)、横浜・港北ニュータウン(1974年)など、300ヘクタールを超えるニュータウンが40数地区建設され、サラリーマン家族のための住まいが郊外居住地として誕生した。これらのニュータウンはそれぞれ立地の特性を持ちつつも、均質な住まいが量産を目的に建設されてきたが、今日では住まいの老朽化、人口減少による空家の増加、売却された土地の再分化がもたらす過密化、コミュニティの崩壊、老朽化によるタウンセンターの機能不全など、オールドニュータウンに共通した解決できない歪みが指摘されている。
しかし、これらの指摘は単に「何が問題か」を問うているに過ぎず、責任追及の騒ぎの声でしかない。私たちは「オールドニュータウン」の「住まい」とその環境の再生への手掛かりとして、今日これらの歪みを抱えた郊外住宅に5つ問いをなげかけたい。
- 変化に耐え得る住まいだったのか。
- 物的・量的評価だけではなく、住まいの質や価値を維持するためのスキームがあったのか。
- 風土・固有性を読み取った住まいのデザインやプランニングがなされていたのか。
- 周辺の既存コミュニティとの連携があったのか
- 住まいに自力型の再生プログラムがあったのか
居住環境の質よりも量の獲得を目指して開発されたという「オールドニュータウン」はやがて50年を迎えようとしている。次の50年を目指す「オールドニュータウン」は今、質的改善について考える時を迎えている。
一方、「ニュータウン」の手本となった「田園都市思想」の最初の実践・実験である、イギリスの「ファーストガーデンシティ・レッチワース」は100年を迎えた今も生きつづけ、更なる質的改善に取り組んでいる。
レッチワースの100年の経験に学ぶことによって、日本の「オールドニュータウン」の「住まい」とその環境の再生への手掛かりを得ることが可能と仮説した(図0-2-2)。