河回村の現地調査は実質1日半という短い時間の中でおこなわれた。したがって事前の資料集めと実施計画の組み立てとメンバー全員による綿密な打ち合わせが必要不可欠という前提に立ち、各自がインターネットを駆使して出来うる限りの資料を収集し方針を決め現地での調査計画を立てた。
我々のチームは、「風習と仮面劇」がテーマである。「村」という共同体とその中に暮す人々が日々豊かに、幸せに暮す事が出来るために神々に祈り、神々のご機嫌を取り結ぶ必要から、神事としての仮面劇が行われてきた。次に村に入ると、各家の門口や各部屋の入り口に幸せを呼び込む「書きつけ」を沢山見る事が出来た。おおむね四文字熟語のような形式が多く、その内容を良く分析してみると、吉祥そのものであり「福」「禄」「寿」に分類できるのもおもしろい。
2005年の王家大院では、地域と住民を守るために、多くの吉祥文様が飾られていた。日本にも古くから、松竹梅、鶴亀等々の吉祥文様が存在する。中国、韓国、日本の文化を「福」「禄」「寿」という切り口で分析し、類似を比較検討し、アジアの文様と文字により表される図像の解析を研究の目的にしたいと考えている。
5-2 背景と目的
韓国の伝統文化、特に「民間風俗文化」の調査を行い、分析・研究することにした。伝統文化を分析・研究することで当時の様子、社会背景や文化の特徴がわかり、またそこから日・中・韓3ヶ国の文化の共通点や相違点を探ることができ、それらの文化は時代を反映するものであることがわかる。2年に渡るこの調査を皮切りに、これら同様の調査・研究を重ねていくことで今まで歪んでいるそれぞれの国の文化知識を訂正することが期待される。
河回村は伝来の文化遺産がよく保存されている村である。村の全体が重要民俗資料122号に指定されている村として、国宝、宝物、重要民俗資料などに指定された多くの類型・無形文化遺産がよく保存されている。懲泌録は任辰乱研究の貴重な資料であり、河回村の仮面と仮面劇、そして村の歳時風習は民俗文化に関して重要な文化財である。
5-3 背景と目的
5-3-1:河回村の立春帖の調査
初めに、安東河回マウル村に伝わる立春帖という風習を調査の目標とし、その立春帖を収集し、整理することを目的にし、聞取り調査と、立春帖を写真で記録した。2005年の国際プロジェクトで行った王家大院の文様調査と韓国の立春帖の類似点を比較すると中国と韓国との文字の形象の違い、デザイン性の違いを感じ、それぞれの国を詳しく調査する必要があることがわかった。そこで、中国文字の起源から調査し検証をおこなった。
5-3-2:東北アジアの文字の類例
中国の文字である漢字は象形文字を基礎に絵画のような飾り的特徴を持っている。甲骨文字・金石文字そして篆書, 隷書等は図形に近い形態だが、また実用的必要によって叙事的要素を手にいれた‘書'が登場した。草書段階になると、絵のような線描による美しさと律動感をそなえるようになった。甲骨文字は隣接民族に伝わり、それぞれの国でこれをもとにして新しい文字が作られた。韓国の文字も中国の漢字の文字体系と違うところがあるが、書体の基本方式は漢字の書体法に基づいていて同じ意味の言葉等が多く、韓国情緒と風習にあうように変化し、さまざまな形態で表されるようになった。
5-3-3:河回別神クッ仮面劇の観覧
研究方法は、上記のように河回村の事前調査を通じて資料収集、現地の仮面博物館の見学調査と仮面劇の観覧、および現地での聞き取り調査を行い、その結果を整理・分析して、メンバーによる討論を行った上で、課題に関する考察を加えるものである。現地調査、見学、観覧はメンバー全員で行ったが、聞き取り調査は韓国語ができるメンバーで行った。事前調査は、河回村についてメンバー全員がインターネットや本から情報を取り、現地調査に対する準備を行った。現地での調査項目として、仮面劇と立春帖(イッチュンチョプ)の二つのテーマに分類して行った。河回村は代表的な文化財であり、生活風習を主に調査活動を行った。
5-4 河回別神クッ仮面劇
5-4-1:河回の仮面の由来及び歴史的背景
河回村で行われる民間伝承遊びである河回別神クッに使われた河回の仮面(仮面9、チュジ2)は榛の木で作られ、漆と顔料を重ねて塗り、深みを出している。初期のものは1964年国宝第121号に指定され、1965年度から韓国国立中央博物館に所蔵されている。この仮面の製作年度ははっきりしてない。しかし、製作者が「ホドリョン」という人であると伝説に伝わっており、この仮面が安氏(アンシ)とか柳氏(リュウシ)の同族時代以前あるいは朝鮮王朝以前のものだと推定されている。
韓国で現存する一番古い仮面として今の仮面はチュジ、カクシ、僧、両班、学者、チョレンイ、イメ、ブネ、白丁、老婆の10種11個だけ伝わっており、3個の仮面は紛失した(図24:仮面)。
初期の河回の仮面は、韓国学界ではその価値を認められていなかったが、リュハンサング前安東文化院長が、河回の仮面をマクタガート(Arther Joseph Mactaggart)教授に紹介して、1954年その価値を認められ、海外学界に発表し、河回の仮面が世界一の仮面であると絶賛を受けた。その後、韓国学界でも活発に研究され国宝として認められるようになったと言われている。
5-4-2:仮面の特徴
上に向ければ笑う顔、下を向ければ怒った顔と表情変化が起きるようになっている。それだけでなく、げらげらと笑う時は頭を反らして、怒った時は顔を下にする人体工学を研究して彫刻されているので、芸人の身振りと自然に一致するようにしたところが目立つ。韓国の仮面はだいたい瓢や紙で作るので、その年の仮面劇が終わった後、焼いてしまうことが一般的であった。しかし、河回村の仮面は材料を榛の木とし、さらに表面に漆を 2回、3回と塗って精巧な色を出したり、格式と粋を取り揃えており、村では別に洞舍を立てて仮面を保存して来た(図25:製作順番)。特にカクシ仮面は城皇神の代わりをすると信じられて、別神クッをする時以外には見ることができなかった。必要な時は必ず祭祀を執り行なわなければならない禁忌と制約があったので、今日まで伝えることができたそうである。
5-4-3: 河回別神クッ仮面劇(ハフエビョルシンクッタルノリ)
別神クッで有名な安東河回村は韓国で現存する一番古い仮面である河回の仮面と仮面劇をよく保存している。現在韓国には14種類のタルチュム(仮面劇)が国家文化財に指定されており、特に河回別神クッで使われる仮面は国宝に指定されている。
仮面劇の内容は韓国人の楽天的な性格とおおらかさが盛られているし、一般庶民たちの生活を憚ることなく表現した風刺的な庶民文化だと言える。
5-4-4:別神クッの意味と特徴
「別神クッ」とは3年、5年あるいは10年ごとに村の守護神である盛況様に村の平和と農業の豊年を祈るクッをいう。
河回村では、約500年前から10年に一度、師走(12月15日)あるいは特別な時に、戊辰生城隍様に別神クッを奉納して来た。仮面劇は城隍様を楽しくさせるために行われたと言われている。
河回村で行われる別神クッは祭祀としての性格を強く帯びている。また仮面を焼きながら楽しむ儀式のないことが特徴だ。仮面劇の伴奏は鉦が中心になる演奏者がいる。仮面劇の演者は即興的で日常的な動作に少しの所作を交ぜた振りで成り立つ。
別神クッ仮面劇は「場(マダン)」に分けられる。昔から伝わってきた場(マダン)の数は10個で構成されている。しかし、仮面を被った「廣大」だけが踊る場(マダン)は8つあるが、婚礼の場、新婚さんの部屋の場は村の一般の人々も観ることができないので、今回の調査では6つの場(マダン)しか観覧ができなかった。
それぞれの場(マダン)に出る主人公も違い、ストーリーも違うのである。
河回村の一般の人々と一緒に遊んだ別神クッ仮面劇の場(マダン)の順番とストーリーは次の通りである。(図26:仮面劇1) (図27:仮面劇2) (図28:仮面劇3) (図29:仮面劇4)
5-4-5:立春帖(イッチュンチョプ)について
春の始まりを知らせる立春(2月4日)になれば大門や柱に新しい一年の幸運と健康を祈りながら、春を祝福する言葉を紙に書いて貼り付ける。これを立春帖(イッチュンチョプ)あるいは春帖子(チュンチョプザ)、立春榜(イッチュンバン)と言う。大門、倉と部屋の戸、柱、大梁に付けるが、喪中の時にはしない。近年では、まだいくつかの地域で形式的に行われているが、ほとんどはその習俗が消えていこうとしている(図30:春帖)。
5-5 小結
5-5-1:仮面と仮面劇について
仮面劇を観る上で大切なのは当時の韓国の時代背景を知るということだ。仮面劇のストーリーは朝鮮時代の韓国の階級制度を風刺した内容であり、サンミンと呼ばれた一般階級の庶民たちが唯一大っぴらにできる娯楽であったのだろう。
元々は神事芸能であったために祭りの根底には豊穣、安全、健康などの祈りが込められているが、グロテスクな支配層の仮面や生動感あふれるユニークなつくりの仮面をみても娯楽の意識が強かったのではないかと思われる。しかし、儀式としての仮面劇が支配層への風刺を中心とした芸能に転じていった経緯が分かっていないので、今後もアジアの他の国々の儀式や芸能文化と比較して調査をしていきたい。
5-5-2:立春帖について
漢字は中国、韓国、日本それぞれの国で、その国の宗教、民族性、風習、社会発展などを要素として発展してきた。そこで、まず中国を中心とした韓国、日本の精神世界を理解しなければならない。
中国では、道教的観念と仏教の原理が、自然の美しさと神秘に対する中国人独特の感受性と合わさり、さらに儒教の倫理と一体となって中国の文化ができあがった。
韓国でも仏教は約1500年続いてきた。しかし、韓国の仏教はシャマニズムと風水地理など、さまざまな道教的概念を包括している。日本の場合、相対的孤立は外国からの影響を土着的な特性と結合させる能力を開発した。
道教と仏教の瞑想的形態である禅の要素は日本人の哲学と美学の基盤になった。次に開かれる日本での国際プロジェクトは中国と韓国におけるような文字が持つ意味と思想、そしてデザイン的な要素を探ることが、次の私たちへの課題として残った。