Contemporary Art and Education
Report on the Publication "Chiharu Shiota: When Mind Takes Shape"
本稿は2008年度神戸芸術工科大学共同研究(*1)における研究プロセスの一部として発刊された『塩田千春-心が形になるとき』(神戸芸術工科大学レクチャーシリーズII-美術と展示の現場II、新宿書房)に関する報告をおこなうものである。(文責:小山 明)
デザイン教育研究センターは神戸芸術工科大学における学部および大学院の基礎教育を担当する組織であり、年間に8~10回程度の特別講義を企画運営している。本書の中心的なテキストとなっているのは2008年度におこなわれた岡部憲明教授担当の授業科目「現代美術史」特別講義の内容である。「現代美術史」では毎年連続して女性美術作家を招聘し、特別講義をおこなっている。これまでに、やなぎみわ、イチハラヒロコ、束芋、塩田千春、本年度の宮永愛子など、現代美術の最先端を担う作家達がそれぞれの作品の背景、制作の方法に関する講義をおこなっている。
塩田千春はベルリン在住の作家であるが、この特別講義と前後して、日本国内三箇所においてふたつの個展とひとつのグループ展が開催されており、特に大阪にある国立国際美術館でおこなわれていた塩田千春個展は本学からも地理的にも近く、また展覧会オープニングの前日の講義ということもあり、聴講者が美術作家の講義とその作品の両方を体験することが可能な理想的な時間的関係が構築された。
デザイン教育研究センターでは、2007年度におこなわれた4つの特別講義をまとめた『美術と展示の現場(神戸芸術工科大学レクチャーシリーズII-1)』の出版をおこなっている。これは、秋元雄史、中原佑介、笠原美智子、増田玲の4名の美術館キュレーターによる連続特別講義を一冊の書籍としてまとめたものであり、宮本隆司教授がコーディネーターとして、出版までをも含めて全体を統括している。この講義の共通テーマでもあり書籍のタイトルともなった「美術と展示の現場」というキーワードは、つぎのような現代美術に関する考え方から選ばれたものであった。
現代美術の表現上の変化は、美術館そのものの展示スペースの変化と非常に強く結びついており、この展示空間、もしくは美術館自体が作家による展示内容の一部となることが現代においては当然のこととなっている。従来の意味を剥奪された「背景」としての展示空間である白く四角い箱(ホワイトキューブ)に対して、オルタナティブな展示空間の可能性の追求が美術館という建築物のあらゆるすべてを取り込んで、試みられるようになっている。われわれの認識そのものに変革を迫る現代アートの多くが、当然のこととして展示物と展示空間の「境界」、あるいはこの「境界の喪失」を問題として表現を展開しているというあらたな局面に現代アートの状況はおかれている。それゆえに、作家はアトリエでつくることと同時に一方では展示スペースにおいても作品をつくっていると考えるべきであり、またこの展示の現場は作家とキュレーター、建築家、鑑賞者がクロスする新たな文化の創造の場でもある。
塩田千春による特別講義の内容は、ドイツに留学してマリーナ・アブラモヴィッチやレベッカ・ホーンらに師事し、その授業のなかで自分を発見していくプロセス、ベルリンのミッテ地区と呼ばれる旧東ドイツに借りたアトリエで、ドイツの記憶とも言うべき古いものに囲まれて暮らしていたこと、靴やドレス、窓など人々の身体的な記憶に結びつくものを素材として作品を発想していったプロセス、巨大な作品を展示スペースにインスタレーションとして構築していくときの方法などが多くのデジタル写真とビデオを使用して語られたものであった。
書籍は、この講義録を全体の中心に置き、以下のような構成とした。
- はじめに(齊木崇人、学長)
- 図版構成(ベルリンの廃墟、小山解説英文)
- 前書き(岡部憲明)
- 図版構成(作品)
- 講義本文
- 図版構成(制作手帖とアトリエ)
- 展覧会場三箇所の展示実測図と解説
- 作家解説(ペトラ・マトゥシェ、ドイツ文化センター館長、和文)
- 後書き(小山明)
- 作品リスト(和文)
- 作品リスト(英文)
- 解説(マトゥシェ、英文)
中心となる講義本文のページ数は書籍全体の四分の一である。
前書きを特別講義コーディネーターの岡部憲明に依頼したが、これは塩田千春の日本における実質的なデビューとなった2001年横浜トリエンナーレの展示空間設計を岡部憲明がおこなったという経緯にもよるものでもあり、作家の紹介とともに、泥だらけでぬれた巨大なドレス(作品名は「皮膚からの記憶」)を中心とした会場設計の主旨がここでは触れられている。また、塩田千春の作品解説を依頼した大阪ドイツ文化センター館長ペトラ・マトゥシェ(現在はミュンヘン本部)は非常に哲学的な視点から塩田千春の作品の背景にある身体感覚や記憶というものについて長く精緻なテキストを寄稿している。
こうした三つのテキストが書籍の核となっている。これに同時に開催されていた三つの展覧会場(ケンジタキギャラリー名古屋、金沢21世紀美術館、国立国際美術館)の展示スペースの実測平面図および展示シークエンスの解説、これまでの海外の作品展示写真(サニー・マンク撮影)、アトリエ内部写真および制作手帖の複写写真、作品リスト等を加えて上記の構成とした。
こうした構成要素をひとつの書籍としてまとめていくエディトリアルデザインの方法については、出版をおこなった新宿書房村山恒夫編集長、書籍デザインをおこなった赤崎正一教授からアドバイスをいただき、数多くの打ち合わせを経て全体の構成案が構築されていった。
デザインの過程で、まず最初に解決すべき問題は、和文・英文・独文の三ヶ国語の扱い方、すなわち右綴じ縦書きの書籍フォーマットの中にいかにして横文字のテキストを配置するかという、書籍としての構造的な問題であった。横文字を左に90度回転させてレイアウトをおこなう造本の方法などいくつかの方法が検討されたが、最終的に選択された方法は、英文および独文のページを通常の左綴じ洋書のように書籍の後ろから展開し、和文のテキストは前から展開し、それらがあるところで両側から出会うような構成とすることであった。小山の英文解説は2頁に収まる量の短いテキストなので、例外的に最初の図版ページ見開きに収めた。こうした方法により、決して言語の扱いが混乱したような体裁にはならず、書籍として自然な構成を保ち、なおかつ生き生きとした文字の世界が構成されたと考えられる。
一方、図版の構成は塩田千春の制作のプロセスを書籍として、最初のページから終わりにむかって順にその展開を表現することが可能なようなシークエンスを設定した。
図3 扉、はじめに(齊木崇人、学長)
図4 図版構成(ベルリンの廃墟、小山解説英文)
図5 前書き(岡部憲明)
図6 図版構成(作品)
図7 講義本文
図8 図版構成(制作手帖)
図9 図版構成(アトリエ)
図10 展覧会場三箇所の展示実測図と解説
図11 解説(ペトラ・マトゥシェ、ドイツ文化センター館長、和文)
図12 後書き(小山明)
図13 作品リスト(和文・英文)
図14 解説(小山明、英文)
この部分に関して中心的なストーリーを語る作品として設定したのは、無数の窓枠を使用した作品群である。この作品は旧東ベルリンで塩田が集めた窓枠を使って構築した円形の搭状構築物であり、壁の崩壊まで凍結されていたドイツ人の記憶の構築物とも解釈することが可能な壮大な作品である。こうした窓枠は塩田が旧東ベルリンのビル改装現場を回ってひとりで集めたものである。
壁の崩壊にともない西側の資本が流入し、古い窓が捨てられビルが改装されていくプロセスのなかで一時的に人の住まない廃墟となったビルの中から外に向かって同じアングルで撮影した部屋の写真を書籍の最初の部分に繰り返し展開した。そして、捨てられた古い窓枠、床に散らばった割れたガラス、小さな窓枠をつかった塩田が制作した作品模型、完成した実際の作品、というように制作の時間的な流れを読み取ることが可能な順序で前半のシークエンスを組み立てた。
このひと通りの、作家の制作プロセスの追体験のあとに、様々なヨーロッパ各地で展示されたインスタレーションの図版が続き、ポーランドで靴の中に置かれた手紙をかがみこんで見ようとする少女の写真で写真ページがいったん終了し、講義のテキスト部分が始まる。講義はこの最後の写真を解説するところから始まるので、図版ページからテキストページへのつながりはなめらかにおこなわれる。
講義ページが終わったところからは、集中的に塩田千春の制作手帖とアトリエの写真ページが続く構成とした。これは、彼女のあらゆるアイデアがアトリエからつくられていること、このアトリエそのものが作品と言えるほど「記憶」の美しい構成物としてあることを重視したことによるものである。ここには赤い糸で靴をつなぐ作品のモデルと思われる試作段階のオブジェや、フレームに糸で宙吊りにされた白いドレスの完成した作品も置かれていて、塩田千春の作品を理解するためには欠かすことのできない空間となっている。アトリエと手帖のスケッチはアイデアの根源であり、その意味では、本書の中心はこの部分にあると言ってもよいかもしれない。
後半は、実際にそれではどのように展示空間において展示がなされたのか、ということを記録する実測調査の結果を図面とテキストで解説するページ、作家のよき理解者であるマトゥシェドイツ文化センター館長による解説により全体が締めくくられる。このあとは後書きを挟んで作品リストが続き、一方で本の最後の部分から始まった横文字ページ(マトゥシェ独文テキスト、作品リスト英文)がここで出会うことになる。両側からのページが出会う仲立ちとして、塩田が巨大なドレスを縫う写真を配置した。
『塩田千春 心がかたちになるとき』は作家の作品とその背景にあるものを書籍として構成する試みであり、本稿ではページの構成、写真の選択の意図、シークエンスの組み立ての意図などを解説した。「美術と展示の現場」というキーワードをもとに研究をすすめるなかで、本書は研究そのものを書籍として表現する試みとしてもとらえることができる。
- *1―
- 2008年度神戸芸術工科大学共同研究「デザイン教育および現代美術教育に関する基礎的調査研究」を構成するものの部分である。研究全体は以下の3つの軸にそって並行して進められ、それぞれの成果が教育モデル・教育プログラム構築に反映されている。
1)美術館博物館における展示システムに関する研究
2)インタラクションデザイン教育
3)「MAX」「PROCESSING」を使用した次世代コンピュータ言語教育
(2008年度学部共同研究採択課題)