本研究は、建築と音楽という異なる領域の芸術活動の間に、思考方法やそれぞれの芸術領域のありかたに対する意識の共通性、技術的な方法に関する共通性を見出すことを試みる研究である。(*1)
建築と音楽は、古代においてはピュタゴラス音律における振動数の簡単な整数比を、中世や、ルネサンス時代においては建築空間に関係させようとしたいわゆる比例論的なものや、近代においてはフリードリヒ・シュレーゲルの「建築は凍れる音楽である」、ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)の「音楽は動く建築」、ウォルター・ペイターの「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という捉え方など、建築と音楽、また大きくは造形と音楽がお互いに惹かれあいながら様々な比喩表現による関係性によって語られることが多く見られる。
本論は、現代の建築家ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind, 1946 - )による設計手法の中に、リベスキンド自身がコンセプトや影響を受けたものとして挙げる音楽との関係を読み取り、その音楽的思考を考察するものである。
リベスキンドは、1946年にポーランドで生まれ、建築家になる前にはアコーディオン奏者として、1959年にアメリカ・イスラエル文化基金奨学金を得て渡米するなど、音楽家として活躍していた時期もあり、そのバックグラウンドから、建築における設計コンセプトや空間の比喩表現として、音楽との関係性について多く語っている建築家である。本論は、その彼の代表作であるベルリン・ユダヤ博物館において、計画のダイアグラムとして発表された「アルファベット(Alphabet)」(セリー・コードとも呼ばれている)と、一方の音楽領域においてカールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhauzen, 1928 - 2007)やピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925 - )らによって推し進められた作曲法のひとつである「トータル・セリエリズム(Total Serialism)」(すべてのパラメーターをセリー的に処理するこの種の音楽)の考え方との類似関係について考察する。
1-1 基礎プログラムとしての3つのコンセプト
ユダヤ博物館は、1988~1989年に開かれた「ユダヤ博物館部門を含むベルリン博物館拡張計画」の国際コンペティションにおいて、ダニエル・リベスキンドが1等賞を受賞して建てられた建築物である(図1)。リベスキンドは、「この建物のプログラムの基礎をなすべきものとして3つの基本コンセプトがあり、1つめは、ベルリンの歴史を理解するには、ベルリンのユダヤ人居住者による莫大な知的、経済的、文化的貢献への理解が不可欠だということ。2つめは、ホロコーストの意味を、ベルリンという都市の意識と記憶に物理的、精神的に結びつける必要があるということ。3つめは、ベルリンにおけるユダヤ人の生命の抹消と空白を認め、受け入れることが、ベルリンとヨーロッパの歴史が人間的な未来を持つための唯一の方法だということである」(*2)と述べており、それはまた、「ベルリンの歴史を、そこに暮らしたユダヤ人市民の歴史について語ることなしに物語ることの不可能性、ホロコースト以後のベルリンにおけるユダヤ人の生の不在を建築的および物質的に形象化することの必要性、そして都市全体のレヴェルで、このかつての分断された都市を横断する光をもたらし、場所と記憶を結合させること」(*3)とも述べられている。(図2)
1-2 構造化への4つのコンセプト
また、この3つの基本コンセプトのほかにも、建物を構造化するために4つのコンセプトが存在し、この建築物を形作っている。それは、「まず1つめのものは、非合理な接続のマトリックスである。これは光に関わり、住所の接続と住所の消去とに関わり、今日のベルリンという都市を横断する接続に関わらなければならないものである。2つめは、ふたつの異なる建物の断面である。ヴォイドを除いた建物部分の断面とヴォイドそれ自体の断面という2種類の断面が存在し、ヴォイドはつねに左右対称であり、つねに同じ形のドアウェイが右と左についている。それに対し、建物を横方向で切った断面同士は左右対称だが、縦方向に切った断面同士は完全に非対称として存在する。3つめは、アーノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951)の未完のオペラ「モーゼとアロン」への関心である(図3)。シェーンベルクはこのオペラでベルリンの問題と取り組んでおり、これはたんに未完成のオペラというものではなく、モーゼとアロンの関係そのものによって音楽という形では完成されえない作品であり、この未完の第3幕をヴォイドのリズムという形で建築的に完成させようと試みたものである。そして4つめの要素は、ヴァルター・ベンヤミンのテクスト『一方通行路』である。テクストそのものが博物館のデザインに役に立ったということではなく、逆に博物館の方がテクストを解釈する装置なのであり、ベンヤミンが一方通行路と名づけるものを考えるやり方を自由に拡げてゆくための装置になるということである」(*4)と述べられている。
この4つのコンセプトは、リベスキンド自身が感じ取ってきたベルリンの都市の歴史であり、ホロコーストによって家族が分断されてしまったリベスキンドの生い立ちから成り立つものでもある。リベスキンドは、「人が歴史を感じるとき、目の前に浮かぶのは建物である。フランス革命とはと聞かれて、連想するのはダントンの姿ではなく、ヴェルサイユ宮殿の姿であり、ローマと言われれば、真っ先に思い浮かぶのはコロセウムである」(*5)という様に、建物こそが人類や都市の歴史を形作る大きな要素であると捉えていたのである。
「人が歴史を感じるとき、目の前に浮かぶのは建物である」という術の言葉の様に、この都市の記憶や歴史からの建物の構造化というある種の設計手法は、どこか通常の建築の設計手法とは異なるものであり、この歴史からの構造化という手法によって建物の形を生成していくということは、それまでの建築が社会性や経済性、構造特性上にどうしても縛られて設計を行うという、それまでの設計手法が自明としていたものとは異なる設計手法である。またこれらは、現代の音楽が音楽における社会性や経済性、構造特性上を気にせずにただひとつの音そのものを様々な表現方法でもって体現していくようなものでもあり、建物という枠に当てはまらない様々なパラメーターを複合することによって、純粋なる「形」を求めていくものとして捉えることが出来る。
2-1 「十二音技法」
リベスキンドがユダヤ博物館のコンセプトのひとつとして挙げたアーノルト・シェーンベルクによって作曲された「モ-ゼとアロン」は、それまでのシェーンベルクの音楽理論を結集した作品である。そのなかでシェーンベルクによって生み出され、当時も含め現在に至る後世へと最も影響を与えたものに「十二音技法」がある。
「十二音技法」とは、1オクターヴ内における半音階上の12個の音を、1つの音が用いられた後に残りの11個の音すべてが用いられるまでの間にその音を使用してはいけないという旋律法のことである。旋律を作る上において、1オクターヴ内における半音階上の12個の音すべてを用いて、12個の音による音の集合による作曲を試みた人物には、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトや、アレクサンドル・スクリャービンらなどがいるが、この12個の音による音の集合を作曲技法として体系化した人物として、シェーンベルクや、シェーンベルク以前にこの理論を確立したとされるヨセフ・マティアス・ハウアー(Josef Matthias Hauer, 1883 - 1959)が近代に登場することになる。
シェーンベルクとハウアーの「十二音技法」はそれぞれ特徴が異なるものであり、「トータル・セリエリズム」へと至る音楽史におけるシェーンベルクの「十二音技法」からの影響を見るためにも、ここではシェーンベルクとハウアーの2人の「十二音技法」の違いを述べる。
まず始めに、ハウアーにおける「十二音技法」は、原音列となる12!=479,001,600通りある十二音音列の中から、トロープスと呼ばれる44種類に分類することから生成するものである。その分類方法は、十二音音列の12個の音を前半と後半の6音ずつのグループに分け、その前半、後半グループの中に、増4度音程(1オクターブの半分の音程)がそれぞれに何個含まれているかによって、十二音音列を大きく4カテゴリーに分ける。そうすると、前後半に3個ずつの第1カテゴリーのトロープスは3種類、前後半に2個ずつの第2カテゴリーのトロープスは15種類、前後半に1個ずつの第3カテゴリーのトロープスは20種類、前後半に0個ずつのトロープスは6種類のトロープスを生成することができ、そのトロープスから基本音列を生成し、その音列の派生形として、反行形や逆行形、移高形だけでなく、音列の各音をローテーションさせるという方法を用いることによって、旋律を生成するものである。(図4)
これに対して、シェーンベルクにおける「十二音技法」は、1オクターヴ内における12個の音を、その基本となる音列中の連続した3個ないし4個の音において、長三和音や短三和音のような調性的な和音形成を避けるように配列することによって音そのものの相互関係によってのみ成り立つ原音列が生成される。この原音列は、反行形、逆行形、反行逆行形といった対位法に基づく変形によって展開され、これらの4つの展開された音列は、それぞれ1オクターヴ内における半音階の中での移高によってさらにそれぞれ12個の移高形が展開される。こうして、ひとつの音列から全部で48種類の音列を作り出すことができ、これらが旋律、和声に適応されて作曲されるので、ひとつの原音列からの組み合わせの可能性は無限へと広がるものである。(*6)(図5)(図6)
ハウアーとシェーンベルクの「十二音技法」は、12個からなる基本音列を反行形や逆行形などによって展開させるという手法が似通っているものであり、これはハウアーが1912年から1919年の間においてこの音楽体系を作り上げ、12個の音を用いた配列法が後にシェーンベルクによる「十二音技法」に影響を与えていたとされることによるものである。それは、ハウアーが自身の作品をシェーンベルクに見せた時に、その場に居合わせた作曲家のエゴン・ヴェレスによって、「シェーンベルクがハウアーの作品を見た1916年において、シェーンベルクもときおり音列技法を用いた作曲はおこなっていたものの、12の音からなるひとつの音列を作曲の新しい原理としようという着想はハウアーに負ったものだ」と証言されていることからも、シェーンベルクがハウアーの「十二音技法」の影響を受けていたことが理解される。(*7)1923年に、シェーンベルクが「十二音技法」を公に発表したことや、同年に「ハウアーの理論」と題した覚書の中でハウアーの音楽理論に対する疑問について記述したことによって、ハウアーとの確執が生まれたとされており、そこには、「ハウアーが自明のことのように展開している規則はすべて誤っている。ハウアーは、これらの規則を論理の及ばない神秘の中に置き、その背後には宇宙を司る原理とか、隠秘な一致といったものが隠されていると主張しようとする。(中略)そんなものが存在するかしないかはどうでもいいことなのに」(*8)と記されている。これについては、現代音楽史において「ウィーンの闘争」として、どちらが「十二音技法」の創始者であるかという論争が行われたとされているが、実際にはシェーンベルクとハウアーとは関係のない所で様々な論争が行われていたものであり、当人の2人は後に往復書簡などでお互いの論争などは一切回避しようという姿勢をとっていたとされている。ただ、ここでシェーンベルクが「ハウアーの理論」において述べているように、神秘主義者であったハウアーが、作曲家の自由意志や感情とは無縁な規則の支配する音楽的宇宙を完成させるということを「十二音技法」によって導きだそうとしていたことに対して、シェーンベルクが「不協和音の解放」という、自身の音楽におけるテーマを「十二音技法」によって体系化させようとしたものとは大きく異なり、これこそが2人の「十二音技法」の大きな相違点でもある。
そして、ここでシェーンベルクが掲げている「不協和音の解放」という概念こそが、彼が近代の音楽において大きな扉を開いたとされる所以のものである。それは、「遠く隔たっている所の協和音(それを今日では不協和音と呼ぶ)」(*9)と、不協和音の存在について記し、それまで不協和音として使用することが禁止されていた様々な種類の和音をすべて等価・等距離に置き換えるものであり、当時の社会性というものからの影響を受けずに和音を形成するものである。そして、この概念を技法として体系化したものがシェーンベルクによる「十二音技法」であり、この技法によって生成された原音列から旋律が生み出され、それらが対位法的に組み合わさり曲が生成されるといった、ある種の作曲における自動生成法としての方向性を示すことになるのである。
2-2 「トータル・セリエリズム」
このシェーンベルクとハウアーの「十二音技法」とは、音楽のひとつのパラメーターである音高の秩序や配列だけに関わる音列技法であり、これが様々な音楽のパラメーターにも拡大解釈され様々な表現方法によって作曲が試みられることになり、こうしてミュージック・セリエル(Music Serial)(*10)と呼ばれるセリー(音列)技法の音楽が生まれることになる。音楽理論家のヴァルター・ギーゼラーは、「セリーな音楽においては、何をセリーにするかということだけが作曲家の注意を引き、その他の問題に関してはだいたいにおいて暗中模索といった状態である。(中略)つまり作曲家は、セリーの可能性を前もって形成することで、彼の役割を演じきり、後は自動的な偶然性がそれをつかさどるのだ」(*11)と、セリー技法によって作曲された厳格なミュージック・セリエルの音楽がいかに自動生成的なものとして作られているのかということを述べている。
初期のセリエリズムの音楽においては、シェーンベルクやハウアーによる「十二音技法」からの影響というよりは、シェーンベルクの弟子であるアントン・ヴェーベルン(Anton Webern, 1883 - 1945)の影響が強く現れているものと捉えられている。しかし、歴史における相互作用というものを考慮する時に、少なからずともこの「十二音技法」というものの影響がセリエリズムへの発展へと影響を与えていたことを読み取らなければならない。そして、この視点から音楽史を見ていく時に、「トータル・セリエリズム」に大きく影響を与えた人物に、パリの国立音楽院で教授として教鞭をとっていたオリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908 - 1992)がいる。ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼン、イアニス・クセナキス(Iannis Xenakis, 1922 - 2001)など、これら全てがメシアンの弟子であり、彼の影響を受けた人物達である。(*12)このメシアンが、彼らや後世の音楽に大きな影響を与えたものに、1949年にピアノ練習曲として作曲した曲集「4つのリズムの練習曲」に含まれる「音価と強度のモード」がある。この曲は、音列による作品ではないものの素材の列を作り出して作曲されており、ここで音楽のパラメーターの中から、音価、強度のパラメーターがセリーの概念を応用して用いられ、全てのパラメーターをセリー化するという可能性を示すものであった。ブーレーズは、「セリーの観念は、音高、持続、強度、音色といった生の音響事象のすべての構成要素に適応され、また、それら四つの基本的な観念から派生するものすべてに、つまり音高、持続、強度、音色の――等質的な――複合体と同様、音高と持続、音高と強度などの――結合された――複合体にも適用される」(*13)と述べ、メシアンが音価と強度のパラメーターにセリーを適応したことに続き、音楽の構成パラメーターをすべてセリーによって構造化するという「トータル・セリエリズム」の考えを示すことになる。
「トータル・セリエリズム」は、ミュージック・セリエルにおけるひとつの技法であり、自動生成としての作用を含んでいる作曲技法である。ギーゼラーは、作曲家達が厳格なミュージック・セリエルの自動生成化に対する構造上の可能性として「点としての構造」、「群としての構造」、「領域としての構造」の3つの構造を挙げている。(*14)その「点としての構造」、言い換えると点描音楽の自動生成化の代表曲として挙げられるものは、ブーレーズの「ストリュクチュール」であり、「群としての構造」では、シュトックハウゼンの「3群のオーケストラのための《グルッペン》」、「領域としての構造」では、クセナキスの「メタスタシス」がそれぞれ代表曲として挙げられる。そして、このブーレーズの「ストリュクチュール」は、トータル・セリエリズムの曲としても有名なものであり、パラメーターとして音高、音価、強度、アタックの4つの基本セリーを用いて作曲されている。
ブーレーズは、セリーについて「或るひとつのヒエラルキー化の核であり、そのヒエラルキー化は、いくつかの心理生理学的・音響学的な特性に基づき、また多少ともの選択力を付与されて、一定の特性に関する支配的な縁類性によって相互に関係づけられた創造的諸可能性の有限集合の組織化を目指す。この可能性の集合は、或るひとつの機能的生成によって最初のセリーから演繹される」(*15)と定義しており、「ストリュクチュール」において、作曲家の決定は素材の予備的整理の中で終わり、セリーが稼動をはじめるやいなや、作曲はある程度自動的に進行するものであるという解釈を行っているのである。(*16)音楽評論家のポール・グリフィスは、「《ストリュクチュール》は全面的セリー主義の構造としての純粋性を保っているが、オートマティズム(自動生成)に一歩踏み込むことを意図的に目指して作られたものである」(*17)と述べており、ブーレーズ自身も、最初の「ストリュクチュール」は完全に意図的に作曲し、音楽の様々な関係の中において、音楽における自動生成を精力的に行おうとしていたことを言及しているのである。
図7 「ストリュクチュール〈Ia〉」の音高のセリーGyörgy Ligeti:'Decision and Automatism in Structure Ia', “die Reihe”, no.4, english edition 1960, pp.37
図13 「アルファベット」(1.UNDERGROUND, 2.INTERVAL, 3.SITE, 4.VOID, 5.LINEAR, 6.WINDOW, 7.COMBINATION)"EL croquis no.80", p.6
3-1 建築と「トータル・セリエリズム」
この「ストリュクチュール」のように、すべてのパラメーターをセリー化することによる「トータル・セリエリズム」の音楽と、デ・コンストラクションの建築との間に大きな類似性があるとマルクス・バンドゥール(Markus Bandur)は、『Aesthetics of Total Serialism - Contemporary Research from Music to Architecture』の中において述べている。(*18)その著書の中でバンドゥールは、リベスキンドがユダヤ博物館のコンセプチュアル・ダイグラムとして発表した「アルファベット」を取り上げており、ここで用いられた様々なパラメーターが一種のセリー・コードとして成り立っているものであると示している。(*19)
音楽批評家の吉田寛は、バンドゥールが指摘した「トータル・セリエリズム」という観点からデ・コンストラクションの建築を読み直そうとする見解への検証の必要性を述べているものの、彼自身がリベスキンドの建築を読み解く上でこの「トータル・セリエリズム」の考えを使用することが有効と考え、この「アルファベット」とシュトックハウゼンの「トータル・セリエリズム」との類似性を指摘している。(*20)「シュトックハウゼンは、音高やリズムだけでなく「音源の位置」という音楽にとって本来異質な空間的次元をもパラメーター化した。それによって音楽家は、演奏家や楽器、あるいはスピーカーの位置にまで意識的にならざるをえなくなったのである。リベスキンドにおいてもセリーの導入によってランダムなようで規則的、反復的なようで非反復的といった一連の独特な様式的印象が生みだされていると考えられる」(*21)と述べ、セリーの考え方が、「音源の位置」のような空間的次元への転用、またリベスキンドがユダヤ博物館のダイアグラム「アルファベット」のパラメーターの中に〈Combination〉などの形ではない接続性のものをセリー化するなど、音楽の領域の概念であったセリーが様々な芸術分野において転用可能なことを、吉田は見出そうとしている。
シュトックハウゼンも、ル・コルビュジエが「築かれ組立てられるすべてのもの、長さ、幅、体積を有するすべてのものは、音楽におけるごとき有効な尺度の恩恵を受けているだろうか――音楽的思考の仕事に役立つ道具のごときものを」(*22)と述べ、音楽的思考に寄り添って導きだされたモデュロールを、セリー的思考によって導かれた先駆的なものと捉えており、音楽領域以外においてもこのセリーの概念が使用されていることを言及している。(*23)
バンドゥールが、デ・コンストラクションの建築と「トータル・セリエリズム」の音楽との間に、お互いに単一の最小素材の組み合わせによって複雑な形状を生み出していることの類似性を指摘し、後に吉田がリベスキンドのユダヤ博物館のための「アルファベット」とシュトックハウゼンの「トータル・セリエリズム」の音楽を、各々の芸術領域が自明のものとしていない建築領域から〈Combination〉の哲学概念、一方で音学領域から「音源の位置」といった空間的次元といったメタ・セリーをもパラメーターとしてセリー化してしまっていることの類似性を指摘する。
しかし、「トータル・セリエリズム」の音楽とは、上述してきたように基本のパラメーターを作曲者の作為的な組み込みによってある種の自動生成的な特徴を持つものであり、この自動生成という点においてブーレーズが作曲した「トータル・セリエリズム」の曲である「ストリュクチュール」と、ユダヤ博物館のダイアグラム「アルファベット」を含めたコンセプトとの間にひとつの類似性を見出すことが出来る。
3-2 ブーレーズの「ストリュクチュール」
「トータル・セリエリズム」の曲である「ストリュクチュール」は、第1集と第2集があり、本項ではトータル・セリエリズムの先駆けとなった第1集の〈Ia〉、〈Ib〉、〈Ic〉の3楽章からなる最初の〈Ia〉について記述する。この〈Ia〉は、作曲家ジョルジュ・リゲティによって詳細な構造分析が成されており(*24)、現代音楽で多くの引用や言及、分析の対象となる楽曲のひとつである。ギーゼラーもミュージック・セリエルの「点における構造」の項においてこれを分析し(*25)、日本では、福岡由仁郎によっても分析されている。(*26)
〈Ia〉の自動生成方法は、福岡の言葉を用いると、「音高、音価、強度、アタックの4つのパラメーターから、まず音高のパラメーターにおいて、メシアンの「音価と強度のモード」で使われたセリー(E♭, D, A, A♭, G, F♯, E, C♯, C, B♭, F, B)から借用し、音価のパラメーターは、32分音符を1単位として付点4分音符(32分音符12個分)までの12段階のパラメーターによってセリーが設定される。強度のパラメーターは、ppppからffffまでの12段階のセリー、そしてアタックのパラメーターにも同様に12段階のセリーが使用されている。(図7)(図8)(図9)(図10)
基本となる1つの音高セリーは、一定の演繹操作によって合計48の派生形となり、それぞれに音価、強度、アタックのセリーが組み合わされて実際の「音素材」が形成される。この様に演繹的に準備したセリーを素材として並べることによって単純明快な構造をしており、きわめて機械的なやり方で組み合わされることにより、作曲者はそこに非主観的に関与するのみとして、これが作曲されるのである」(*27)と説明されている。(図11)
ブーレーズは、この曲のセリーのパラメーターを作り出す時に、師匠であるメシアンの「音価と強度のモード」から素材を借用することによって、自分が作ったものでない素材を取り扱い意識的に創作の責任を放棄することによる作曲を試みようとしたのである。そして、ひとつの素材が持つ様々な可能性が、音楽の様々な関係性の中でどこまで自立的に存在し組み合わされるのかということを、この「ストリュクチュール」の作曲における自動生成として試みたのである。
3-3 ユダヤ博物館における自動生成
リベスキンドは、ユダヤ博物館の建物の形を模索しているときに、構造化のための4つのコンセプトの中の1つめの要素である、住所の接続と住所の消去によってひとつの原型となる形を生成することになる。それは、ホロコーストで殺されたドイツの全ユダヤ人の名前を一覧にした『追悼人名簿』から無作為に選び出した人名のベルリンの住所をベルリン市内地図にマークしていき、それから、リベスキンドが敬愛するユダヤ人や非ユダヤ人の住所を探して、その中の何人かをペアにして、一方の住所からもう一方の住所へと線を引くことによって、ユダヤ人や非ユダヤ人達の間に、ある関係性を導きだすことによって形を生み出そうと試みたのである。そのペアとは、たとえば、ラーエル・レヴィン・ファルンハーゲンと、彼女のサロンの常連客であった革新的なルター派宗教学者フリードリヒ・シュライエルマッハー、ホロコーストの体験を底知れぬ深さの詩に託した詩人パウル・ツェランと建築家ミース・ファン・デル・ローエ、幻想と怪奇小説の作家E.T.A.ホフマンとロマン主義文学の作家ハインリヒ・フォン・クライスト等であり、これら6つの名前と3組のペアを地図上にマークしたとき、それがベルリンの地図上に少し歪んだダビデの星を形作ることになるのである。これは、リベスキンドによって無作為抽出された結果ではあるものの、ひとつのある自動生成法によって、ベルリンの都市に、あるベルリンの歴史が描かれることになるのである。(*28)。(図12)
また、ダイアグラム「アルファベット」には〈Underground〉、〈Interval〉、〈Site〉、〈Void〉、〈Linear〉、〈Window〉、〈Combination〉の7つの基本パラメーターがあり、そのパラメーターに対して各々10個の基本形が設定されており、これら各パラメーターが複雑にくみ合わされることによってユダヤ博物館が存在している。これらの基本形は、すべての図面が完成された後にコンセプチュアルなものとして作成されたものと思わるが、後で作成されたとすると不可解な点が見られる。それは、これらのパラメーターに対する各々10個の形は、ブーレーズの「ストリュクチュール〈Ia〉」で用いられた個々のパラメーターの様に、その単一のパラメーター内において完結するものではなく、例えば〈Interval〉や〈Site〉のパラメーターの10個の基本形を組み合わせても、それらが図面上と適合するものではなく、様々な箇所で部分的に重なり合っていたり所々が欠けていたりしているのである。つまり、リベスキンドは7つの基本パラメーターに対して彼がその基本形として導きだしたものは図面からただ解体して抽出した形ではなく、ひとつひとつの基本形を各基本パラメーターに対する素材として抽出しており、そこにこのダイアグラムが「アルファベット」と名付けられている意味が隠されているのではないだろうかと考える。「アルファベット」が複合的に集まり「ワード(Word)」となり、さらに「センテンス(Sentence)」へと生成されるように、合計70個の素材が組み合わさることによってユダヤ博物館が生成されるという、どこか設計過程においてある種の自動生成的なイメージを設計手法に付加しているように捉える事が出来る。(図13)(図14)
ここに、ブーレーズが「ストリュクチュール」において自分が作ったものでない素材を取り扱い意識的に創作の責任を放棄することによる作曲を試みようとしたように、リベスキンドもホロコーストで殺されたドイツの全ユダヤ人の名前を一覧にした『追悼人名簿』から無作為に選び出した人名のベルリンの住所をベルリン市内地図にマークすることによってダビデの星を生成するなど、これらは創造者の意識を介さない一種の創作手法であり、またお互いに単一の素材を組み合わせる方法としてセリーとしての表現を使用していることなどの共通点を見ることができる。ユダヤ博物館は、「ストリュクチュール」のように自動生成によって生成されたものではないが、しかしそのコンセプトやダイアグラムにおいて自動生成的要素を含んだ設計手法を持ち合わせているものであり、その自動生成方法にブーレーズの「トータル・セリエリズム」の曲である「ストリュクチュール」との類似性が見られるのである。
本論は現代の建築家ダニエル・リベスキンドによる設計手法の中から、ユダヤ博物館のダイグラム「アルファベット」と、カールハインツ・シュトックハウゼンやピエール・ブーレーズらによって推し進められた作曲法のひとつである「トータル・セリエリズム」との類似関係について考察を行い、その音楽的思考を読み解くものである。「トータル・セリエリズム」は、自動生成的な要素を強く持つ作曲技法であり、デ・コンストラクションの建築との類似性についても指摘されるなど、建築の領域とも関わりを持つ作曲技法である。
設計手法における自動生成は、様々な方法論を持つが、このリベスキンドが、それまでの建築設計が自明としてきた社会性や経済性、構造特性上に縛られて設計していることに対して、歴史や文学、音楽、そして各パラメーターにおける最小単位となる小さな素材から全体を構成していくという手法をコンセプトとして用いることによって、ひとつの方法論を示している。
それは、ユダヤ博物館において多くのコンセプトが語られてきたが、その中のひとつのコンセプトとして挙げられたユダヤ人と非ユダヤ人の関係によって生成されたダビデの星や、ダイアグラム「アルファベット」が、ミュージック・セリエルにおける「点としての構造」であり「トータル・セリエリズム」の楽曲である「ストリュクチュール」における自動生成としての考え方の類似性が見られることである。またこれらの考え方は、パラメーターにおける最小素材からの組み合わせによる作品の全体構成という「点としての構造」を、音楽領域以外の芸術分野においても展開可能な事を示唆しているものと捉える事が出来るのではないだろうか。
- *1―
- 尹智博、小山明:「アーノルト・シェーンベルクの音楽とデ・ステイルの造形における共通性」、『日本建築学会大会学術講演梗概集F-2分冊』、日本建築学会、2008、pp.619-620/尹智博、小山明:「パウル・ヒンデミットによる音楽における「調性」と「重力」」、『日本建築学会大会学術講演梗概集F-2分冊』、日本建築学会、2009、pp.117-118
- *2―
- ダニエル・リベスキンド:「線の間に ベルリン・ユダヤ博物館」、『第5回ヒロシマ賞受賞記念ダニエル・リベスキンド展』、広島市現代美術館、2002、p.106
- *3―
- ダニエル・リベスキンド:「ユダヤ博物館」、『Anyplace』、NTT出版、1996、p.266
- *4―
- ダニエル・リベスキンド:「未だ生まれざる者の痕跡」、『建築文化』、彰国社、1995/12、pp.42-43
- *5―
- ダニエル・リベスキンド:『ブレイキング・グラウンド』、鈴木圭介訳、筑摩書房、2006、p.8
- *6―
- ヴァルター・ギーゼラー:『20世紀の作曲‐現代音楽の理論的展望‐』、佐野光司訳、音楽之友社、1988、pp.77-81
- *7―
- エーベルハルト・フライターク:『シェーンベルク』、宮川尚理訳、音楽之友社、1998、p.162
- *8―
- Arnold Schönberg:'Hauer's Theories', “Style and Idea”, tlanslations by Leo Black, University of California Press, London, 1975, pp.209-213
- *9―
- Arnold Schönberg:“HARMONIELEHRE”, Wien, 1922, p.19(『和声学 第一巻』、山根銀二訳、「読者の為の出版」社、1929、p.36)
- *10―
- 主に、すべてのパラメーターもしくは音高以外に最低1つのパラメーターをセリー的に処理するこの種の音楽を指す。(「ミュージック・セリエル」より抜粋、『ラルース世界音楽事典〔下〕』、福武書店、1989、p.1736)
- *11―
- ibid.6)、p.83
- *12―
- ibid、p.81
- *13―
- ピエール・ブーレーズ:『現代音楽を考える』、笠羽映子訳、青土社、1996、p.54
- *14―
- ibid.6)、p.83
- *15―
- ibid.13)、p.53
- *16―
- ibid.6)、p.83
- *17―
- ポール・グリフィス:『現代音楽-1945年以後の前衛』、石田一志、佐藤みどり共訳、音楽之友社、1986、pp.61-62
- *18―
- Markus Bandur:“Aesthetics of Total Serialism - Contemporary Research from Music to Architecture”, Birkhäuser, Basel, 2001, pp.74-90
- *19―
- ibid, pp.78-81
- *20―
- 吉田寛:「音楽家ダニエル・リベスキンド?-新たな読解可能性のために」、『Inter Communication』、NTT出版、2003/win、pp.120-128/「リベスキンドにとって音楽とは何か?」、『ユリイカ』、青土社、2003/3、pp.190-198
- *21―
- 吉田寛:「音楽家ダニエル・リベスキンド?-新たな読解可能性のために」、pp.127-128
- *22―
- ル・コルビュジエ:『モデュロールⅠ』、吉阪隆正訳、鹿島出版会、1976、p.13
- *23―
- Karlheinz Stockhausen:“Texte IV”, p.402
- *24―
- György Ligeti:'Decision and Automatism in Structure Ia', “die Reihe”, no.4, english edition 1960, pp.36-63
- *25―
- ibid.6)、pp.83-86
- *26―
- 福岡由仁郎:『ピエール・ブーレーズ論‐セリー主義の美学‐』、東京外国語大学大学院博士論文、2005、pp.49-53/pp.190-199
- *27―
- ibid.、p.51
- *28―
- ibid.5)、pp.94-98