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5 木工技術史と木地師

 我が国の道具史を俯瞰すると、木工技術の発展において大きな変化をもたらす道具の出現をいくつか確認できる(表1)。ある画期的な道具の出現により、それ以前に同じ用途で使われていた道具は急激に衰退するという、当然ともいえる現象が繰り返されてきたのである。原始についてみてみると、鉄器が現れ、それまでに使われていた石器の道具が衰退し、やがて消滅した例がある。また、室町中期に縦挽き鋸である大鋸が使われるようになり、木材を繊維に沿って縦に割る大がかりな「打ち割り法」が廃れて、両刃のみや手斧の使用頻度は大幅に減ったと考える方が自然である。また、大鋸の出現は加工精度の向上をもたらし、槍鉋から台鉋への発展を促進した要因の一つに挙げられるだろう。とくに我が国においては大鋸から前挽き大鋸の発明を経て独自の木工技術の発達をみた。しかし、その前挽き大鋸も1950年代に電動工具の国産化が始まって以来帯鋸の普及により衰退し、現在では前挽き大鋸を使う木挽きは全国でも十指に満たない。電動工具は、あらゆる職種の工具に影響を及ぼして技術史の方向を大きく変え、現在も引き続き進化、発展を遂げている状態である。


表1 日本における大工道具略史

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表1 日本における大工道具略史



 新子氏の杓子づくりにおける技術面での特徴の一つとして縦挽き鋸を使わないことがある。繊維方向への加工は、「割り包丁」「木取り鉈」を使って、割り加工を行っている。栗の木は割裂性に富み、鋸を使うよりは作業性や時間的効率において合理的と考えられる。建築材など大きな材を縦に割る技術を「打ち割り法」と言い、古代から縦挽き鋸が現れる中世半ばまで盛んに行われていた。新子氏の杓子づくりは、技術的にはこの「打ち割り法」の流れを汲むものであり、原始的ではあるが非常に合理的でありまた素材への精通が不可欠な技法と言える。今日、同じように木材を繊維方向に割って加工する職種として、へぎ板職、桶・樽職、イタヤ細工職などがある。表1を見てわかるように「打ち割り法」の流れを汲む職は、過去には縦挽きを実現した大鋸の、そして今日では電動工具の影響を受けてわずかに確認できる程度にまで衰退している。
 割り加工による製作は、木取りを木の性質に従って進めるしかなく、材の量的効率つまり歩留まりは一見よくない。確かに新子氏の「工程2」の作業場には、端材が山のように積みあげられ薪として利用されている。しかし、材の性質を無視して、安易に鋸を使って製品の形に収めても、実際の使用の場で含水率の大きな変化を伴う杓子は、後に形が大きく変形したり、破損する恐れもある。結果的には、最初の木取りの段階で見極めて端材となる材は、加工技術を凝らし、形だけは完成品となっても不良品として選別され廃棄されることが多くなる。
 加工技術の発展は、職人の未習熟を補い、より迅速でより正確な仕事を可能にすることで、今日多くの製作の場に導入され、前段階の古い技法は、次第に廃れ忘れられてゆく。技法が異なれば、成果物が違ったものになるのは当然であり、進んだ加工技術を駆使しても造形上再現不可能な製品は多々あるに違いない。


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