ウルムチは、上海から空路5時間、中国西端の自治区の首府である。この自治区に入るためには飛行機で必ずウルムチを通らなければならない。そこから、ホータン、カジュガル、クシャといったシルクロード・オアシス都市に空路がつながっている。ウルムチはシルクロードのイメージとは異なり、高層ビルの建ち並ぶ近代都市である。大きな町で、南北に伸びており、車の数も多い。タクラマカン砂漠に石油が見つかったということで道路の整備も進んでいる。そこで天山南路(シルクロード)が通っているトルファンをたずねることにした。
ウルムチは天山山脈の北にあり、トルファンはその南にある。その間でちょうど山脈が切れており、トルファンへはまっすぐで平坦な舗装された道路が伸びていた。タクシーを利用したが、まずガソリンを入れられた。ガソリンも一度に多量は入れないようだ。経済の発達にエネルギー供給が追いついていないということである。エネルギー供給が追いついていないといえば、カジュガルからの帰路、飛行機の出発時間が7時間も遅れてしまった。ウルムチ空港の電力がダウンしたとの説明があったが、予定の立たない地域である。またこの付近で石油が出るということ、道路は立派であった。その道路は草原地帯(ステップ)から、乾いた土地に入っていく。山が切れている狭い通路にはかなりの風が吹く。そこに風力発電機の風車がにょきにょきと建っていた。さらに進むと砂地が多くなり、その風で砂が巻き上げられ、前方がほとんどみえない所に出る。車はゆっくりと走る。あの砂煙の向こうには地平線が広がっているのだろう。
トルファンの町を通り過ぎ、天山山脈の南麓を東に進む。天山山脈の山ろくは火焔山と呼ばれる燃えるような赤い色の砂山(土山)がつながっている。火焔山山中のムルトゥク河岸にある仏教石窟のひとつ、ベゼクリク千仏洞に着く。ここは6世紀から始まり、9世紀中期最盛期となった石窟である。中国文化の影響が強い敦煌よりウイグル文化を示しているといわれるが、残念なことにイスラム教の浸透とともに破壊され、また清の末期に訪れた外国人探検家に剥ぎ取られ、ほとんどなにも残っていない。そのあと高昌故城と呼ばれる城址遺跡を訪ねる。1000年間国都として栄えたところで、玄奘がインドに仏典を求める途中立ち寄ったことでよく知られている国である。建物等の損壊は激しく、広大な土地に荒涼たる風景が広がっている。地球の砂漠化も驚くほどの速さで進んでいるようだ。
帰りは、火焔山の西、小さな渓谷にある葡萄講に立ち寄った。ここは豊かなオアシスであり、緑が豊かに垂れ下がっていた。共同で観光からブドウ栽培、動物育成をしているようである。その中の農家の一軒に入り昼食をとる。まず、にわとりが絞められ、野菜といためたものがでてくる。すこぶるいい味だ。うどんの上に中華の炒め物をかけるという料理がこのあたりの名物料理である。うどんにこしがあり、たいへん美味である。赤ちゃんも緑の木陰でおばあちゃんに子守唄をうたってもらっていた。砂漠の厳しさとオアシスの豊かさを同時に感じた。