カジュガルのバザールは圧巻だ。古いつくりのバザールが、町のあちこちにある。屋台の店もたくさんある。町の中心には、新しい住宅が店舗になっているところもある。日干し煉瓦の伝統的な建物がガラス張りの店舗用のビルに立て替えられている。大きなバザールは、古い建物を壊して、新しい市場への変身が始まっていた。再開発が急ピッチで進んでいる。バザールとしての趣が少なくなっているように感じられたのだが、店のおじさんたちも再開発によって観光客が減るのではないかと心配している。いずれにしても経済発展が西の端にまで及んでいることを示していた。
そのバザールには果物、野菜が豊富にあった。ザクロがたくさん店に並べられている。ウイグル地区にはザクロをジュースとして飲む習慣があり、ジュース屋がたくさんあった。その他、豆類、穀物、香辛料、そしてドライフルーツ、干しぶどうなどが所狭しと並べられている。ふっくらしたナンが窯で香ばしく焼かれていた。
中央アジアでは、シルクロードをつたわる独特の音楽と楽器が発達している。現代でも旋律音楽で周期の短いリズムの中央アジア独特の音楽が聞こえてくる。また、ウイグル族の家庭では、お客が来るとタンブラー(楽器の名称)を弾く習慣があるので、どの家にもタンブラー置いていると聞く。砂漠地帯であるため、楽器の素材は限られ、形状は比較的簡素で、装飾も抽象的な幾何学模様の反復が多く、イスラムの影響を受けている。弦楽器の共鳴胴にしばしば桑材が用いられている。羊腸弦と並んで、絹弦が盛んに用いられている。生糸は桑の葉を食べて成長する蚕が吐き出したものだ。したがって桑材と絹弦は相性がよく、音の響きがよいと古来から信じられてきた。もっとも、昨今は金属弦やナイロン弦にとって代わられたが、「絲綢之路」は楽器の素材に関しても、正に「絹弦と桑材の路」でもあった。
金属製品の店も数多くあった。ナイフは独特のカーブを持ち、柄にはきれいな装飾がなされている。ブリキのヤカンや鍋もあちこちで売られていた。
中央アジアは綿の産地でもある。綿が荷台に積まれ行き来している。それらの綿を打って薄く長くのばし、折り曲げ布団が作られ、積み上げられていた。また綿織物の産地でもある。ここから日本にも輸出されているのだろうか。きらびやかな色の衣装が洋装店に並べられていた。バザールにはあちこちに帽子屋があった。カジュガルのおじさんたちは、必ず帽子をかぶっている。ぐるぐるした毛皮の帽子、鳥打ち帽、メッシュの帽子、刺繍が施されている。素材は冬ならウール、グレーやこげ茶、細かいチェックの帽子。ロシア風の鳥打帽も出ていた。夏は、綿とかポリエステルの白い帽子である。