古きファッションは、博物館の中にあった。新彊ウイグル自治区博物館は、現在新館を建設中である。自治区の首府ウルムチにあり、正面にエメラルドブルーのドームを持つイスラム風の建物は、ウルムチのシンボル的な存在になる予定である。同博物館は、正式には1963年に開館され、収蔵点数は5万点余りにのぼる。しかし、我々の訪れた2005年8月には、改装中のため小規模な仮の展示室での展示しか見ることができなかった。その中に3000年以前に埋蔵され、1980年に発掘された「楼蘭の美女」を含む、ミイラ数体を調査することができたのは幸運であった。ミイラは、数十体発掘されているという。目の前のミイラは、髪の毛もあり、衣服も良い状態で残っていた。ウイグル族、西からの異教徒、漢民族、この地で果てたいろいろな民族がミイラとして埋葬されていた。新しい博物館では、ミイラの衣服そのものを調査できる可能性がある。
ウイグル族は、人口約600万人をほこる新彊ウイグル自治区最大の民族である。男性の衣服は洋装化が進んでいるため、民俗衣服の縞の布地を用いて、斜めに衿の付いた前あきの縞の上着「袷袢(シャバン)」を見かけることは、少なかった。多くの人々に見られる帽子は、錦織やビロードや綿布でできた四角形や円形のもので、色糸や金糸、銀糸の刺繍の入ったものである。
女性の衣服は、黒、赤(ピンク)、黄を中心にした多彩な色彩を持つ「アトラス絣織」のワンピースが特徴的である。この色はウズベキスタンを中心とした中央アジアに見られるもので、代表的な柄は、太陽と命の樹、櫛を表している。ここでは日本の矢絣に似た模様がよく着られていた。衣服のデザインは、ゆったりとボリュームがあり、膝下丈からふくらはぎ丈のワンピースで、胸にヨーク状の切り替えがあり、ギャザーが入っているものを多く見かけたが、ディテールは様々であった。昔は絹で作られていたが、現在では綿、合繊も多く、プリントされた絣柄も見られる。
この地における他の少数民族を調べると、ウズベク族は、イーニンを中心にしてウルムチ、カシュガルにも分布する。女性の衣服「クナク」は、胸元にギャザーが入ってゆったりとしたワンピースである。上には、襟ぐりや裾に縁飾りの刺繍が入り体にフィットしたベストを着る。カザフ族は90万人の人口があり、イリ、ムレイ、パリコンなどに分布し、少数民族の中では比較的に人口は多い。女性の衣服は赤のワンピースが多く、刺繍の入った黒のベルベットのベストを着用する。また、赤や黄の糸で緻密な刺繍の入ったショールが独自である。キルギス族は、11万人余りの人口のほとんどがクスレソコルクスに居住する。男性は、襟ぐりや前あきに刺繍飾りの入ったラウンドカラーのシャツに、刺繍飾りがふんだんに入った上着とパンツを着用する。女性の衣服は、赤いワンピースが多く、衿ぐりや裾に刺繍がふんだんに入った黒いベストを上に着る。タジク族は、約3万人の人口の多くはタシュクルカンに居住する。女性は、たっぷりとしたボリュームのワンピースに、衿ぐりや袖口や裾端に柄の入った別布の縁飾りが付いた上着が特色である。このような少数民族の衣装は儀式用としても作られており、モスクの前の広場での祭典や観光地で着られていた。
現代では、遊牧民の定住によって、遊牧民とオアシス住民との衣服の区別が付きにくくなっている。しかし、ウイグル族の服のセンスは漢民族と違って「中央アジアっぽい」といえる。基本的には、パンツの上にスカートやワンピースを着ている。「肉を食う」民族らしく体格がよく堂々としている。また、老若男女問わずほとんどの人が、刺繍の入った小さな帽子をかぶってるのが見られ、女性の場合はショールを巻いている人が多い。これらのことはイスラム教の影響を色濃く受けているためである。イスラム教では、「コーラン」に女性は体型や肌を見せてはいけないと書かれている。それ故、衣服はゆったりとしている。髪の毛も見せてはいけないので、スカーフを巻いたり、チャドルを顔に掛けている。帽子の人もいるが少なくなってきているようだ。スカーフは大流行でその結び方に工夫が見られる。チャドルは、茶色の毛糸で出来ており、頭から顔全体で隠すが、編み目が粗いので、中からはよく見えると言うことである。
どの子供たちも非常に愛くるしい顔、様子であった。オムツをせずに、ズボンのおしりに穴があけられている子供をたくさん見かけた。砂漠地帯の合理性なのだろうか。
今回、訪問した最初の都市ウルムチにおいては、高層ビルの建ち並ぶ市街地では、イスラム特有の帽子やスカーフを身に付けている以外は洋装化が進み、日常生活の中から民族衣服は消えようとしていた。しかし、カシュガルにおいては、中心市街地においても、大人だけでなく学校に通う子供たちも日常着として民族服あるいは民族服風の衣装が着ていた。衣服の中に少数民族固有の文化が受け継がれていることが確認できた。