MAILHELP


4 カジュガルの街

 カジュガルの街は、シルクロードの交差点として栄えてきた。現在のカジュガルは面積203km2、約35万人の暮らす小さな町である。ここまで来るとさすがに西の端に着いたという感がある。彫の深いウイグル族が多いせいか異国情緒豊かでそれまでの中国とは趣を異にしている。また、イスラムの町として知れ渡っている。このシルクロードの交差点には、伝統的な文化の痕跡が残っていた。
 エイティガール寺院は町の中心にある新疆最大規模のイスラム寺院である。信者以外はモスクには入れない。外から眺められる壁の装飾はすばらしいものであった。この寺院の前は大きな広場となっており、このときもイベント(スポーツ大会)が行われていた。
 アパク・ホージャ墓は、16世紀末の新疆イスラム教の指導者の墓である。中には、何人もの棺が祭ってあった。棺を安置する建物は、タイルが張りつめられ、屋根はアーチ型で、4隅に塔を持っている。タイルの緑色が美しく、その文様も見事である。

図4-1 エイティーガール寺院

Larger

図4-1 エイティーガール寺院

図4-3 エイティーガール寺院の装飾

Larger

図4-3 エイティーガール寺院の装飾

図4-2 エイティーガール寺院の装飾

Larger

図4-2 エイティーガール寺院の装飾




図4-4 アパク・ホージャ墓

Larger

図4-4 アパク・ホージャ墓

図4-6 アパク・ホージャ墓のタイル

Larger

図4-6 アパク・ホージャ墓のタイル

図4-5 アパク・ホージャ墓の内部

Larger

図4-5 アパク・ホージャ墓の内部



 しかしカジュガルは、シルクロードを交差点としての痕跡だけではなく、新しい町として発展している。滞在したホテルは、カジュガルで1、2のホテルであろうが、エネルギー供給が不安定なため、昼間は電灯がついていなかった。しかし、ホテルの窓から見ると、ビルが並んでおり、郊外にも新しい居住用のマンションが建てられていた。タクラマカン砂漠のまわりのオアシス都市は、前に訪れたイランより水が豊富である。植えられた木々の間には溝が掘られ、毎日水が流れてくるのだろう。砂に汚れていないきれいな緑色をした木々が続いている。
 タクラマカン砂漠の周りには、5000m級の山脈があり、雪をいただいている。そこからタクラマカン砂漠に川となって流れ出したところにオアシス都市が栄えた。イランと同様のガナートがあるが、山から水を引いてくるのではなく、川から引いてきてるようだ。今でもガナートの水路には豊かな水が流れていた。

図4-7 カジュガルのホテル

Larger

図4-7 カジュガルのホテル

図4-9 新しい居住用マンション

Larger

図4-9 新しい居住用マンション

図4-8 ホテル窓からの景色

Larger

図4-8 ホテル窓からの景色



図4-10 カジュガルの木々

Larger

図4-10 カジュガルの木々

図4-11 カジュガルの木々と水供給用の溝

Larger

図4-11 カジュガルの木々と水供給用の溝



 HOME

 page top