2-1 調査の目的
2005年の調査では高家崖の平面実測を行なったが、谷を挟んでその西側の斜面に広がる紅門堡については未調査に終わった。このため今回は紅門堡全域の実測調査を行い、資料価値の高い図面に仕上げることと、実測結果の分析を通して王家大院の建築群の特徴を浮かび上がらせることを目的とした。
2-2 調査日程
実測調査は2006年9月8日~同14日の間に実施した。詳細は、以下の通り。
- 9月8日 朝:
- 航空機で関西空港を出発。北京経由で太原空港へ。太原から現地(山西省霊石県)までは手配したバスで移動。深夜に現地着。
- 9日 午前:
- 王家大院の管理事務所へ挨拶等
- 午後:
- 紅門堡の実測調査を開始
- 10~13日 終日:
- 紅門堡の実測調査
- 14日 早朝:
- 手配したバスで現地を出発。太原空港から北京経由で関西空港へ。夕刻に帰国。
2-3 調査組織
本調査に参加した15名のメンバーとその役割分担は、以下の通りである(写真2、3)。
[教員:4名]
山之内 誠(環境・建築デザイン学科 助教授)調査の企画、指揮(研究代表)
柳沢 究(芸術工学専攻 助手) 調査の企画、指揮(共同研究者)
黄 國賓(芸術工学専攻 非常勤講師)調査の企画、指揮、通訳(研究協力者)
大田 尚作(プロダクトデザイン学科 教授)中国側各機関との交渉(共同研究者)
[学生:11名]
田中 尚(大学院生) 実測調査補助(研究協力者)
石田 健介(大学院生) 実測調査補助(研究協力者)
児島 雄介(大学院生) 実測調査補助(研究協力者)
田村 裕一郎(大学院生) 実測調査補助(研究協力者)
姜 燕(大学院生) 実測調査補助、通訳(研究協力者)
王 曄(大学院生) 実測調査補助、通訳、図面作成(研究協力者)
(大学院生) 実測調査補助、通訳(研究協力者)
任 亜鵬(大学院生) 実測調査補助、通訳(研究協力者)
水元 俊輔(大学院OB) 実測調査補助、図面作成(研究協力者)
崎山 貴代(環境・建築デザイン学科)実測調査補助(研究協力者)
多田 育男(環境デザイン学科OB) 実測調査補助(研究協力者)
2-4 調査方法
まず、各班に必ず通訳可能なメンバーが入るように5つの調査班を設定した。そして調査対象となる紅門堡の内部を10区画に分割し、各調査エリアの実測をそれぞれの班が担当した。
1班:山之内・王・多田
2班:柳沢・周・水元
3班:黄・児島
4班:石田・任・田中
5班:田村・姜・崎山
なお、実際の作業に際しては、記録用にB3版の5mm方眼紙を用い、レーザー距離計、コンベックス、仰角計などを用いて作業を進めた。また、班ごとに担当エリアのデジタルカメラによる撮影も行なった。
2-5 実測調査から得た知見
2-5-1 紅門堡の規模と配置構成上の特徴(図3*2)
今回の調査対象地である王家大院紅門堡は、南面するなだらかな斜面上に築かれた城壁に囲まれた建築群である。中央に南北を貫く通路(卵石主道)(写真4)が設置されており、東西を貫く通路も2本設置されていて、これらの通路により7つの区画に大きく分割されている。敷地は南から北へ向かって登っており、卵石主道の南端から北端までの高低差の実測値は16,775mmであった。
城壁内は、東西約97m×南北約180mの矩形平面であり、城壁と南端城門前広場も含めると東西約112m×南北約230mの規模である。そして敷地面積は、城壁内部が約18,000平米、南端城門前の広場を含めると約26,000平米であった。
敷地全体には27の大院*3が存在する。卵石主道の東の区画には、東西に3つの大院が並び、同じく西の区画には4つの大院、卵石主道を上りつめた北側上部の区画には6つの大院が並んでいる。各大院は二進院あるいは三進院で構成され、間口(東西)13.5~14m、奥行36.8~37.6m程度であった。ただし、西の城壁に接する南寄り3つの大院は、間口が2/3程度に縮められており、8.9~9.6mしかない。そしてこの間口の狭い大院があるために、卵石主道は敷地全体の中心軸から4.5mほど東へずれていた。
なお、城壁は一見きれいな矩形に見えるが、西の城壁の南端から約70mの地点から北側は、北へ登るにつれて東側へ振れていた。このため、東西の城壁の内法幅は南端よりも北端では2m程度狭くなっていた。
2-5-2 建築構成上の特徴―窰洞を包含した四合院(図4、写真5~8)
紅門堡内の各大院は傾斜地に建設されているため、通常の四合院には見られない特殊な構成が見られる。それは、各院落の最奥正面にある正房部分に窰洞が組み込まれている点である。紅門堡の内部には四合院の建築が整然と配置されているが、その大半は純然たる磚造ではなく、木製の柱や梁を混用し、腰壁や妻壁に磚を用いる構造をとっている。そのなかで各院最奥の正房は、斜面地の特性を生かして1階を3連の窰洞としており、その背後を地中としている。すなわち崖に横穴を空けた形式(靠山式)の窰洞である。なお、これらの2階部分は他の建築同様、木造の柱と磚壁で構成され、院落北側を東西に走る小道とほぼ同じレベルになる。
ところで、王家大院の窰洞入口のデザインをみると、外形は円筒形に近い放物線型の形状をしており、入口扉と様々なデザインの格子窓及び磚造の腰壁によって構成されている。窰洞考察団の報告によれば、王家大院のように放物線型(または尖頭型)の外形を持つ窰洞は、寧夏回族自治区、甘粛省東南部、陜西省中部、そして山西省・河南省西部に分布する。一方、入口を扉と格子窓及び腰壁により構成する類型は半円筒形の横穴であり、万里の長城を北限とする陜西省北部と山西省北・中部一帯に分布するそうである*4。王家大院の窰洞は両者の要素を融合したもののようだが、まさに両者の分布が重なる山西省中部らしい形態と言えそうである。
また、これらの窰洞は正面を崩壊から守るために磚を積んだ壁面で固めているが、仔細に見ると内部まで磚造ヴォールト構造にしている点が興味深い(写真8)。おそらく、実際には崖に横穴を掘って造られるのではなく、地上に穴の型を造り、それを土台にして磚造ヴォールトを築いた後、型を抜いて作られたものだと推測できる。すなわち、太原周辺や平遥古城などにも多くみられる地上窰(穴を掘らずに平地に造られる窰洞)と事実上変わらないものと考えられる*5。