3-4 調査の目的
3-4-1 調査対象地の選定(図5)
山西商人の築いた数々の邸宅群における王家大院の位置づけを論ずる視点から、王家大院に加えて4箇所の著名な大院を主な調査対象とした。以下、調査した順に簡単に紹介する。
●王家大院(霊石県静升村)
王家大院は明代から清代にかけてつくられた大邸宅であり、霊石県静升村の北部の黄土丘に位置し、太原から150キロのところにある。総面積34,450平方メートルの敷地を抱えていて、使用人も含めると2000人を越える人が暮らし、834もの部屋があったという。建物は高家崖建築群、紅門堡建築群、王家祠堂に分かれている。
●渠家大院(祁県城内)(写真9)
渠家大院は清代の著名な商業金融資本家渠本翹の邸宅である。渠氏一族は中国の連続テレビドラマ「昌晋源票号」の題材ともなっており、祁縣城内に十数件の大院、千以上の家屋を持ち、「渠半城」と称された。渠家大院は清乾隆年間に建築が開始された中国でも珍しい五進式穿堂院で、総建築面積は23,628平方メートルに及ぶ。8の大院、19の小院と240間の部屋に分けられており、その設計の巧妙さ、作りの良さから「民居瑰宝」と讃えられていて、現在は晋商博物館として公開されている。
●曹家大院(太谷県北恍村)(写真10)
曹家大院はまたの名を「三多堂」といい、これは多寿、多福、多子を意味する。太谷県の西南5キロの北恍村に位置し、総面積は10,638平方メートル、総建築面積は6,348平方メートルに及ぶ。曹家始祖曹邦彦は太原晋祠花塔村の出身で、土鍋を売って生計を立てた。明洪武年間に太谷北恍村に遷移し、その後第14代の曹三喜が関東へ独り出向いて商売をし莫大な利益を得て大院を築いた。現在は博物館になっており、曹家の歴史、貴重な珍品を含む400以上の明清代の家具、同じく貴重でまれな珍品を含む2000以上の磁器などが展示されている。
●喬家大院(祁県東観鎮喬堡村)(写真11)
喬家大院は、太原の南、平遥の北、太原市の西南64キロの祁県喬家堡村に位置する。清末から中華民国初期にかけて金融資本家であった喬一族の大邸宅で、1986年から祁県民俗博物館として公開されている。敷地面積8724.8平方メートルの城堡(砦)式建築で、6つの大院と、19の小院、313の部屋で構成される。邸宅の四方は、高さ約10メートルの壁で囲まれ、室内にはそれぞれアンティーク家具や蝋人形が置かれ、当時の喬家の生活が再現されている。
●常家大院(晋中市楡次区東陽鎮)(写真12)
常家大院は市の中心である楡次から17.5キロのところにある。邸宅や庭園、楼閣や大小の通りを設けて、それ自体が一つの町を形成している。一昨年秋に12万平方メートルの修復工事を終えて、公開されたばかりの大規模な文化遺産である。反物屋からスタートし、全国的に店舗を広げた常家は、ロシアとの茶の貿易をひらいた貿易商でもあった。福建省武夷山の銘茶を加工して、陸運、水運、ラクダの輸送で茶を広め、巨万の富を築いた。
なお、このほかに晋中の伝統的民居形式を知るため、平遥古城内の民居群(平遥県平遥鎮に所在、写真13)も調査した。
3-4-2 調査の項目と方法
調査にあたっては、
・建築群の配置上の特徴
・彫刻などの装飾の特徴
に着目し、主として目視による観察と写真による記録等を行い、分析・考察を行なった。