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論文|THESIS


映像文化の創出:京都「記録映画を見る会」の活動を振り返る  第1部:見たい映画を見る:初中期の自主上映活動とその頂点としての『戦艦ポチョムキン』上映

Creation of New Culture: Activities of "Kiroku-eiga wo miru kai", Kyoto
Part 1: Seeing films: its independent screenings and the case of "The Battleship Potemkin" in early and mid period


山之内 誠

MORISHITA, Akihiko Professor, Department of Plastic Arts, School of Progressive Arts





はじめに

現在でなら映像作品を見ようと思えば茶の間のテレビが放映していたり、町中のレンタルDVD屋で探すこともよいし、画質の荒さに目をつぶればウェブ上のサイトでも見放題といえる。一方相変わらずシネコンの数は増え続けている。要するに現在は映像の過剰な時代なのではないか? そうした状況において、私たちは現在と将来への見通しをどのように持てばよいのであろうか? さて1950年代、見たい映画作品を簡単には見ることが出来なかった時代の京都市において「記録映画を見る会」と称し、一般的な商業映画館とは別な回路による映像の流通や作家と観客との交流、そして創作と批評を志向し、最終的には自らの映像制作へと突き進んでいったグループがあった。本論の目的の1つはその理念と動向を辿り、これまであまり明らかにされていなかった会の活動の全貌と意義を明らかにすることにある(*1)。ねらいとするところの第2は、既に50年も経過した過去の事例から現在の私たちが謳歌している映像文化の陰に潜む諸問題を感知するのに役立つ知見を引き出すことである。

同じグループを対象にしても、自主上映の多様な展開を模索していた初期から中期と、自主制作に重きを置いていた後期とは論点を異にして考察した方が適切と考え、本論は互いに補完する2つの論考に分けて発表する。当然ながらそれぞれについて独自の結論を得ることになるが、両者を合わせての結論(上述の第2の目的)は第2部の末尾で論じる。すなわち、「第1部:見たい映画を見る:初中期の自主上映活動とその頂点としての『戦艦ポチョムキン』上映」と、「第2部:見たい映画を作る:後期における『西陣』の自主制作」、である。

最後に研究方法についてであるが、各種の書籍や雑誌、あるいは新聞などに断片的に掲載された文献のほか、当時「記録映画を見る会」のまとめ役をされていた浅井栄一氏から拝借した機関誌や会報、パンフレットなどを一次資料として活用する。また適宜浅井氏からの聞き取り調査も実施する。なお各例会の日時や会場、および上映作品のリストについては、紙幅の関係から第2部にまとめて掲載する。


 

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「記録映画を見る会」の活動については、これまで本論第2部で取り上げる『西陣』の制作団体という切り口からしか言及されていない。たとえば西村智弘[日本実験映像史14 松本俊夫と記録映画作家協会](「あいだ」、100号、2004年4月)や江口浩[スポンサード映画の光と影](村山匡一郎編[映画は世界を記録する――ドキュメンタリー再考]、森話社、2006年所収)がそうである。会の活動の全体像は不明のままである。また視点を別に取って日本映画史、あるいは記録映画や教育映画の歴史書をひもといてもいわゆる自主上映に関する記述自体が少ないという現状がある。加藤幹郎([映画館と観客の文化史]、中央公論社〔中公新書〕、2006年)が提唱するような観客の側に立った映画の歴史を構築することが責務といえるが、本稿はそうした要請にも答えるものでありたい。