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3 「記録映画を見る会」の初中期の活動

3-1 活動の時期区分

「記録映画を見る会」の活動を具体的に報告した文章として、既に何度も引用している浅井栄一の記述と小野善雄が「記録映画」誌に発表したものがある。両者は個々の事実の認知や推移についての説明が微妙に異なる。以下それらを基に適宜他のデータを絡ませながら、動向の概略を見ていきたい(調査が不十分な部分もあり、資料に欠け不明な点が多々あることをお許し願いたい)。

私たちなりに活動期間を区分するなら、第1期は第1回例会から続いていた大ホールでの例会を中止した1956年6月までである。以後出張映写が盛んとなり、後述する京都府立医科大学の「記録映画の会」例会に吸収されていた期間を含み、大劇場を使った例会が復活する直前の1958年8月までが第2期である。第3期はそれ以後、ジャンルを区切ったいわば専門的な会合を取入れた展開期と規定でき、それは『戦艦ポチョムキン』(監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン、1925年)の自主上映が成功を収める1959年4月を経て、1960年初頭『西陣』の制作が取り沙汰されるまでと考えたい。その後作家個展など独自な企画を継続しながらも『西陣』の制作と上映活動に主力を注ぎ、この会の存在が消失する1961年末頃までの時期を第4期(終結期)とする。この第4期については本稿の対象ではないことは先述した通りである(浅井と小野双方の小論の時期範囲を超えてもいる)。これら4つの時期は明確に分かれるものではなく、緩やかな便宜的なものとお考えいただきたい。


 

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