ポワレがデザイン活動を始めた1898年から、彼が提示した新しい美的規範が認められる1910年代の初めまでの初期の軌跡と当時のデザインに影響を及ぼしていると思われる事柄を年表としてまとめる。
1898年 | ポワレ、クチュリエのデュッセのメゾンに入る。 |
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1900年 | 川上貞奴、パリ万国博覧会で公演。以後フランスのファッション雑誌に着物姿の貞奴が頻繁に登場する。 |
1901年 | ポワレ、クチュリエのウォルトのメゾンに入る。シンプルなテーラー・ドレスや大きなキモノ袖のコートを作るが、経営者ウォルトや顧客には受けいれられなかった。 |
1903年 | ポワレ、自らのメゾン「Paul Poiret」を開店する。 |
1903年 | アメリカ人ダンサーのイサドラ・ダンカン、パリで古代ギリシャ風のゆるやかな衣装を着て自然な身体感覚を持つダンスを上演する。 |
1904年 | 「千夜一夜物語」が新訳で出版される。 |
1906年 | ポワレ、コルセットを用いないドレス「ローラ・モンテス」を制作する。 |
1908年 | ポワレ、アルバム「ポール・イリーブが語るポール・ポワレのドレス」を発行する。シンプルな装飾の衣服が描かれた同アルバムはセンセーションを巻き起こす。 |
1909年 | ポワレ、自らのスタイルのドレスを着たモデルをロンシャン競馬場で歩かせるというデモンストレーションを行う。 |
1909年 | ポワレ、「La grande revue」誌に自らのシンプルな美的規範を述べた「ペトロンヌ氏の意見」を寄稿する。 |
1909年 | パリでロシア・バレエが初演される。 |
1910年 | ポワレ、裾を極端に狭めたホプル・スカート(hobble skirt)を発表、ファッション雑誌に足枷をはめられたようだと揶揄する記事が載る。 |
1910年 | ポワレがデザインしたと思われる3体のディレクトワール・スタイルのドレスが制作者名を伏せて「FEMINA」誌に掲載される。 |
1911年 | ポワレ、動きやすさを考慮したキュロット・スカートを発表する。 |
1911年 | ポワレ、カタログ「ジョルジュ・ルパップが見たポール・ポワレのこと」を発行する。 |
1911年 | ポワレ、オリエンタル風の仮装パーティ「千夜二夜」を開催する。 |
1911年 | ポワレ、ロシア・バレエに影響を受けたランプシェード・ドレスを発表する。 この頃になると、ランヴァン、パキャンなどの他のクチュリエの作品の中にも自然な身体美を持つシンプルな装飾のデザインが見られるようになる。 |