4.まとめ

20世紀初頭、ポワレがデザインした自然な身体感覚を持つファッションが一般社会に認められるまで10年近くの時間を要した。ポワレにより提示された新しい美的規範は、人工的な身体美から自然な身体美へ、豪華な装飾過剰なものからシンプルで実用的なファッションへと正反対に変化させたものであった。この変化がポワレの衣装の構造の中にどのように現れているのかを検証することが今回の調査であった。以下、検証した内容を述べる。

グログラン
ポワレは、コルセットを取り外した代わりにドレスにグログランを取り付けた。このことはいくつかの文献のなかで指摘されていたが、その構造に関しては明らかにされていなかった。それは、幅広の張りのあるグログランを用いて、上広がりに切り替えを入れ、中にバレーヌを通し、身体に固定するための大きなカギホックが付けられたものだった。バストを下から締めて押し上げるという機能がその構造から推察される。その身体を補正するという構造はまさしく「コルセット」と同じようなものである。コルセットとの違いは、身体の胴体全体を被うものではなく、ウエストの上からトップバストの下の部分的なものであった点、締め付けの強さも、その構造からして強くはなかった点とその機能をドレスに内蔵させた点であろう。このグログランは、今回調査を行った9体のドレスの内の1体を除く全てに入っていた。コルセットは窮屈なものであったとしも長い間体に慣れ親しみ容易に取り外すことはできなかった。グログランはコルセットを完全に取り外すまでの抵抗を和らげるための過渡的な構造であったのではないかと推察される。
ディレクトワール・スタイル
調査を行った時代に作られたポワレのドレスには、ハイウエストの切り替え、ストレートなシルエットなどを特徴とするディレクトワール・スタイルが使われた。この時代は健康を害すると警告されるほど強力になり胴体全体を被うコルセットにより人工的に身体を変形させるアールヌーボー様式のファッションが極限に達していた。ポワレは、人工的な身体美の対極にある自然な身体美を求めたため、ディレクトワール・スタイルを用いた。ディレクトワール・スタイルは、18世紀末フランス革命後の新しい価値観を可視化するものとして古代ギリシャ、ローマの美を理想とした新古典主義の自然な身体感覚を持つシンプルで清楚な衣装デザインとして現れたものであった。ポワレはそのスタイルを20世紀のモダンなデザインとして提示した。
ジャポニズム
19世紀末より続くジャポニズムの影響でキモノがすでに室内着として広く着用されていたこともあり、キモノの平面的でゆったりと身体を被う身体感が、ポワレが求めていた自然な身体感と一致した。キモノ袖やキモノ風の打ち合わせなどのディテール、キモノの平面的構造やボリューム感、「抜き衣紋」に見られるキモノの着付け方はドレスやコートの中に頻繁に取り入れられている。また、コートに見られた「折り紙」的発想による平面的構造にもこれまでの西洋の構築的な衣服デザインにはないキモノの影響が感じられた。


謝辞

本調査は、パリ市モードとコスチューム美術館キュレーターのグロッシオール・ソフィ氏と同美術館図書館司書のドミニック・ルベイリノ氏の協力により行うことができた。また、実際の調査には本学の学部卒業生の渡邊洋平君と大学院修了生の笹崎綾乃さんにお手伝いをしていただいた。この場を借りて感謝の意を表する。


5.参考図書

「PAUL POIRET et NICOLE GROULT, Maître de la mode art Déco」Musée de la Mode et du Costume PLAIS GALLIERA、 1986年発行
「LES ROBES DE PAUL POIRET RACONTEES PAR PAUL IRIBE(ポール・イリブが語るポール・ポワレのドレス)」、1910年発行
「LES CHOSES DE PAUL POIRET VUES PAR GEORGES LOPAS(ジョルジュ・ロッパが見たポール・ポワレのこと)」、1911年発行
「Femina」 (1901-1996)
「Gazette du bon ton 」(1912-1925)
「EN HABILLANT L'EPOQUE(時代を纏って)」ポール・ポワレ著、1930年発行
「Les Opinions de Monsieur Perone (ペロヌ氏の意見)」La grande revue、1908年発行
「世界服飾史」深井晃子監修、美術出版社
「万博とストリップ」荒俣宏著、集英社新書
「新・田中千代服飾辞典」田中千代著、同文書院



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