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1 三木鉄道の歴史と跡地等利用基本計画策定の背景

三木鉄道は、大正5(1916)年11月に播州鉄道として厄神駅から別所駅の間までが開通し、翌大正6(1917)年1月には三木駅までの延伸が完了した。その後、大正12(1923)年に播丹鉄道に譲渡され、昭和18年には国鉄三木線となって、貨物輸送と地域住民の移動のための手段を提供してきた。金物をはじめとした三木の地場産業の発展に三木鉄道が果たしてきた役割は大きい。しかしながら、乗降客数は昭和41(1966)年をピークとして減少に転じ、昭和47(1972)年には貨物輸送が廃止されて、その後は収益状況の悪化が続いた。昭和55(1980)年に国鉄再建法が成立すると、翌昭和56(1981)年に三木線は第1次廃止対象路線に認定された。このような状況下での存続をはかるため、昭和60(1985)年には、三木線は第3セクター方式の三木鉄道として再スタートを切ったが、長期的な輸送人員数の減少に歯止めはかからず、ついに平成19(2007)年5月に全線廃止が決定され、翌平成20(2008)年3月31日、92年間にわたる鉄道運行の歴史に幕がおりることとなった。


図1 三木鉄道路線図

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図1 三木鉄道路線図

写真1 三木駅構内を西端から見る/H20年5月31日撮影

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写真1 三木駅構内を西端から見る/H20年5月31日撮影


三木鉄道が果たしていた旅客輸送の役割は代替バスで置き換えられることになったが、不要となった線路敷地、駅舎、その他の鉄道関連施設の処分または活用の方法については、様々な可能性があり得ることから、三木市は沿線地域の住民代表等をメンバーとする「三木鉄道跡地等利用検討協議会」を設置し*2、沿線地域の活性化のための施策と合わせて協議を行なうこととした。跡地利用の方針として行政側から最初に示される原案のようなものは特になく、協議会では9ヶ月足らずの期間内に、幅広い可能性の中から現実性のある優れたアイデアを見つけだして基本計画案へとまとめあげることが求められた。

    

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「三木鉄道跡地等利用検討協議会」の構成メンバーには、次の21名の委員が市長から選任された。大学教授(1名)、沿線区長協議会代表(6名)、婦人会代表(2名)、老人クラブ代表(2名)、学校関係代表(1名)、三木商工会議所代表(1名)、三木青年会議所代表(1名)、三木城下町まちづくり協議会代表(1名)、公募委員(6名)。また、協議会の庶務は市のまちづくり部において処理された。